例によっての失言政治家、麻生太郎サンですが1月12日、福岡県直方市で以下のような「成人の日」祝辞を述べたと報じられました。話題作りに事欠かない人物です。
「たばこが吸える、酒が飲めるなんてのはどうだっていい」
(中略)
「もし今後万引きでパクられたら名前が出るぜ。少年Aじゃすまねぇぞ。間違いなく姓名がきちっと出て、カッコ20歳と書かれる」
「ぜひそれだけは頭に入れて、自分の行動というものにはそれだけ責任が伴うということを嫌でも世間から知らしめられることになる。それがハタチです」
悪事を働いたとき、少年法で保護されるのではなく、責任を問われるのが「成人」だという<ロジック>のようです。
しかし明治憲法下での「旧少年法」成立が1922(大正11)年、現行の少年法は1948(昭和23)年の制定で、それ以前の日本に「少年」という法的な規定はありません。
上の「パクられたら名前が出る」はたかだかここ100年の話です。
江戸時代には、それこそ火付けの犯人として処刑された「八百屋お七」(1868?-83)のように、15歳でも放火は放火、子供を火炙りにして、衆人環視の前で焼き殺す公開拷問処刑が堂々と行われていたわけです。
上の浅い話は時代が変わればそこまでの、有権者に一過性の歓心を買おうとする選挙演説みたいなものでしょう。