PAは、なぜうまくいかなかったのか~技術的な課題が原因となるケース

 POS(店頭販売)、CRM(顧客管理)、SFA(営業活動)、財務など、企業が有する他のデータ群と比較して、従業員データを分析し活用する上では固有の難しさが複数存在します。

a 入力データが特に汚い
 従業員データは他の領域に比べて、「後で分析して意思決定に活かしていく」という目的意識が希薄な理由もあってか、データの入力規則がバラバラであったり、欠損値が多数見られたりします。中でも採用に関わるデータは、採用ソースが多様であったり、入力タイミングが不規則になりがちだったり(発令日と発効日がシステム入力日と一致しないなど)するため、データのクレンジング(重複、誤記、表記揺れなどの是正)が特に難航します。例えば「リンクトイン」を表すデータとして、「リンクトイン」、「リンクドイン」、「LinkedIn」、「Linked in」、「LI」といったさまざまな表記が同時に存在します。ただし、これはかなりマシな例です。

b 一元化されていない
 従業員データは、採用・研修・社内異動・勤怠・営業成績・評価・コミュニケーション・エンゲージメント・昇給・離職など多岐にわたりますが、多くの場合、異なる部署が別々に管理するケースが多いのが実情です。これらを1本に繋げると従業員の会社生命(ライフサイクル)を形作ります。各々のデータは相互に連続性や因果関係を内在しているため、繋ぎあわせることで浮き彫りになる示唆や気づきは数多くあります(※2)。例えば、採用時点での候補者による体験や評価は内定受諾率だけでなく、入社後のパフォーマンスや定着率にも一定の相関関係を持つことが、いくつかの事例で確認されています。一貫した分析を実現するには、採用時点での候補者と入社後の社員を「同一化」する必要があります。そのためには、業務フローの中で採用データの「候補者ID」と社員データの「従業員ID」の紐づけなければなりません。しかしながら、データ管理や活用状況がサイロ化されている状況では、このような一見単純な業務設計・運用ですらも困難を極めてしまいます。

 ※2: デジタルマーケティングの世界では、データの取得・解析技術の進化にともなって顧客接点の一元管理がより容易になり、5、6年ほど前から、生涯価値(LTV)や施策別の貢献度を算出することで、全体の予算や活動を最適化する動きが活発になっています。PAもデジタルマーケティングから応用できるフレームワークや手法は多いでしょう(詳細は本連載第4回で紹介する予定です)。

c プライバシー設計が複雑
 従業員データは、通常は雇用契約を締結した時点で会社に帰属するケースが多いものの、その取り扱いには非常に慎重にならなければなりません。例えば人事部の中でも、部署や役職に応じて給与や評価データにアクセスできるメンバーを制限している企業がほとんどです。また、「給与の平均値」を部署ごとに比較分析する場合に、さまざまなフィルタリングを行った結果、逆算すれば個人の給与の実数値がほぼ特定できてしまうようなリスクも考慮しなければなりません。母集団が一定数以下になった場合に、算出された数値を表示させない手法をマスキングといいますが、そうした手段によりリスクを回避していく設計が求められます。

 そして、プライバシー設計と類して「ヒエラルキー設計」も一般的なBIツール(ビジネス・インテリジェンス(Business Intelligence)の意、企業に蓄積された大量のデータを集めて分析し、迅速な意思決定を助けるためのツール)では困難を極めます。例えば、 A事業部長にとって意味のあるデータの母集団は、A事業部長の配下に紐づくメンバーのデータだけなので、B事業部長のメンバーのデータが混じっていると有用性は低下します。ところが、配置転換・兼務発令・部門の統廃合などといった組織変更イベントが四半期〜半期おきに頻発するため、組織の階層構造をリアルタイムで正確に把握し、分析を行うことは、多大な労力を要します。実際に、数百人規模の組織変更が半期に一度行われると、新たな組織図をエクセルに落としこむ作業だけで数週間以上かかっているケースも散見されます。

 これらのリスクに対処せず、単に全部削ぎ落としてしまうと、分析対象として安心して使えるデータセットが少なくなり、「点を線で繋いで、俯瞰的な示唆を得る」というPAの真価が発揮されません。

 a~c のような技術的課題を解消するテクノロジーやツールは徐々に芽生えていますし、PAを専門とするデータサイエンティストやアナリストも少しずつに増えています(※3)。なお、 PA の分析基盤・体制を数名のPAアナリストが整備するために、現状では6~9ヵ月を要すると聞きますが、今後は技術的なハードルが下がり、より少ない時間とリソースで実現可能となることが期待されます。

 ※3:ハーバード・ビジネス・レビューが「データサイエンティストは21世紀で最もセクシーな職業になる」と評したのは2012年10月ですが、労働市場におけるデータサイエンティストの需要はマーケティング領域が圧倒的優勢で、HR領域ではまだ十分に浸透していない印象です。そのため従業員データ独自の魅力をより訴求していく必要がありそうです。CX(顧客体験:マーケティング領域)には無いEX(従業員体験:HR領域)の魅力については、本連載第4回で改めて紹介する予定です。

トラン・チー氏

著者プロフィール


パナリット・ジャパン 共同創業者/COO トラン・チー
新卒でBoston Consulting Groupに入社後、Recruit Holdings、Googleなどで、新規事業開発・DX(デジタル・トランスフォーメーション)・組織の意思決定支援システムに関わるコンサルティングや事業・営業推進に従事。現在はピープル・アナリティクス専門のBIソリューション、Panalyt(パナリット )の日本法人COOを務める。

 

パナリットは既存の人事システムやデータファイルに連携するだけで、企業に眠る人データを活用し課題の本質へと導く “組織の人間ドック”です。

 

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