荒行の様子

(池口 恵観:烏帽子山最福寺にて)

 人工知能やロボットなど科学技術など目覚ましい発展は、産業革命、イノベーションの時間的なサイクルをますます短くさせている。

 そうした時代にも、古来より存在する人間の祈り、そしてその力が何らかの作用を及ぼす祈念、そして呪術は、夢幻、つまりは単なる空想の産物ではなく、世界の至る所で連綿と生き続け、存在している。

 これは、一つの事実である。

 空海が1200百年前に日本に招来した真言密教は特に、その力を大観、遵奉しながら秘密裏に師資相承され現在もその力は生き続けている。

 祈りが憎悪に向かえば対象に悪影響を及ぼし、慈愛に向かえば病魔を追い払うといった、理屈や科学では説明できないことは、太古の昔から現在も変わらず生じている。

 密教の祈り、例えば、祈念について、その理論の概略は、大いなるものと祈念者が同化することで、祈念者が人智を超えたエネルギ―を操ることが可能になるというものである。

 私は、弘法大師空海が開いた真言密教の沙門である。

 沙門というのは僧侶のことだが真言密教では僧侶のことを密教行者と呼ぶ。それは、顕教と密教の違いに由来する。

 密教は心の状態や、その価値観といった段階を細分化し、最終段階は大日如来のレベルに到達する即身成仏をとなることを目的とする。

 また、曼荼羅的な思想が中心で暗示的伝達、つまり言語などの表現に頼らない感覚的な共有により師資相承、その秘法が伝えられてきた。