(柳原 三佳・ノンフィクション作家)
先日、京都御所のすぐ前、寺町通に面した、新島襄とその妻・八重が暮らした旧邸(京都市指定有形文化財)を見学してきました。
同志社大学の創設者として知られる新島は、幕末(1864年)、21歳のときに函館から脱国してボストンにわたり、現地の大学や神学校に学びながら、約10年間をアメリカで過ごします。
そうした経験が影響しているのでしょう、明治11年に完成した居宅は、和風の外観に洋風のバルコニーがあしらわれた独特の建築様式で、書斎や応接間には、テーブルセットやソファ等、明治初期の日本ではまだ珍しいオルガンや西洋の家具が今も当時のまま残されています。
また、一階には暖炉があり、室内を通された煙突の余熱で他の部屋を暖める、いわゆるセントラルヒーティングも採用されていました。当時としては、かなり先進的な構造だと言えるでしょう。
新島家のトイレは日本初期の腰掛式
中でも、興味深かったのは、当時としては珍しい「洋式トイレ」です。板で作られた腰掛台の上に楕円形の穴があけられているもので、水洗ではありませんが、しゃがみ込む和式タイプではないのです。