(花園 祐:中国在住ジャーナリスト)
筆者の学生時代、ある日、友人とNHKの大河ドラマで誰を主役にしたら面白いかという議論をしたことがあります。お互いひと通り候補を挙げた後で、友人が「僕、甲斐宗運(かい・そううん)だったら全話録画して見るよ」とポツリと呟き、「俺も」と筆者がうなずいたところで議論は決着をみました。
甲斐宗運とは、戦国時代の九州肥後(現熊本県)に勢力を敷いた阿蘇家の家老で、政治に外交に軍事にと三面六臂の活躍を見せた、文字通り阿蘇家の柱石となって支えた武将です。また、その忠義ぶりには狂信的なものがあり、他家へ内通(敵に味方の情報をもらすこと)した実の息子を誅殺するほどでした。
そこで今回は、熊本県民と、筆者を含む某歴史シミュレーションゲーム経験者以外にはあまり知名度が高くないと思われる、甲斐宗運の忠烈無比な生涯について紹介しましょう。
どの戦でも鮮やかな勝ちっぷり
甲斐宗運こと本名、甲斐親直(かい・ちかなお)は、阿蘇家重臣の甲斐親宣(かい・ちかのぶ)の子として1508年(もしくは1515年という説も)に生まれます。父の親宣は、阿蘇家が兄・惟長(これなが)と弟・惟豊(これとよ)の間で当主の座を巡り御家騒動が起きた際、惟豊を支えて当主の座に就けた功によって阿蘇家家老となった人物でした。