(古森 義久:産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)
日本の高齢者たちはなぜ団結して、主張しないのか。米国での高齢者の団体の強力な活動ぶり、発言ぶりをみていると、あまりの相違に訝(いぶか)ってしまう。
「日本の高齢者よ、団結せよ! そして主張せよ!」
おこがましながら、ついこんな励ましの檄まで発したくなる。
自分たちでは論じない「高齢者はこうあるべき」
日本の「世代間不公平」が生まれるのは、票田である高齢者に政治家がおもねっていることに一因があると言われる。しかし、では日本では高齢者の主張、要望がすべて通るのか、日本は高齢者にとって本当に住みやすい社会なのか、というと決してそんなことはない。
たとえば最近の日本では65歳以上の国民男女の生き方、あり方が活発に論じられる。だが、高齢者はこう生きるべきだ、こう年金を受けるべきだ、こう自動車の運転を考えるべきだ、というような論議はほぼすべて年下の世代に主導される。官でも民でも、高齢者とされる世代に対して、若い世代が一方的に、ときには独善的に、こうすべきだ、ああすべきだ、という主張を展開するのだ。
この展開はまったくの一方通行にみえる。若い世代が年上の世代に指示や主張をぶつけるだけで、当事者である高齢者側からは意見も反論も出ない。話し合うこともなく、高齢者側はただ黙ってうつむくだけのように見えてならない。