我々人間はもちろんだが、動物などを含め、生きとし生きる物がすべからく我が身程大切なものがないとするのは当たり前の理(ことわり)だ。
日本では古来、自分が大切であるのと同様に他の生き物(家畜から虫でさえ)もそれぞれが自分を大切に思うのは当たり前であることを前提として労わりや慈悲の気持ちを大切にして来た伝統文化がある。
これが、日本の社会を比較的平穏な歴史として紡いで来た理由の一つだ。
しかし、最近国内を賑わしている中高年引き込みりによるおぞましいニュースには「お互いを労わる」概念からは考えられないほど残虐な事件が散見されるようになった。
日本民族が心穏やかな社会を形作ってきた「お互いを労わる」伝統文化が最近になっていったいどうして失われつつあるのだろうか?
日本社会の歪み
人それぞれ考え方の違うのは当然だが、私は最近の日本社会に歪みをもたらしている原因の一つは、行き過ぎた「上下関係の撤廃」などの不自然なまでに歪な平等の推奨とそれを推進した結果だと思っている。
「お互いを労わる慈悲の」伝統文化に反するではないか、との反論する向きがあるかもしれないが、能力も役割も全く異なる人間を全て画一的に扱うこと自体に無理がある。
例えば親と子、先生と生徒、上級生と下級生、上司と部下、男と女などを見ると経験・能力・役割がそれぞれ異なっており、上級者は下級者に教育・指導するのは当たり前だ。
また、男と女にはそれぞれが全く異なる能力・役割が有るのも当たり前だと思う。ただし、そのお互いがそれぞれの人格を尊重し、他人を労わる気持ちが不可欠であると言う前提に立っての話である。
日本の社会ではごく当然のようにそのルールは今現在も一般的には守られていると思うが、最近はそれを「古く悪しき伝統」と一刀両断に決めつけて拒絶反応を示す人も少なからず存在する。