2011年3月11日という日付は、歴史にはっきりと刻印されることになってしまったと思う。単体として見る天災としての東北・関東大震災(東日本大震災)も、かつて日本が経験したことのない未曾有の規模での大惨事となってしまった。

 本稿を書いている時点では、まだ震災被害の全貌も明らかではないが、1次災害である地震・津波と同時多発的に、火事や爆発などの2次災害が発生した。

 その中でも、事態の深刻さと影響の甚大さが国際的に広がってしまった福島第一・第二原子力発電所の事故。現在も懸命の事態収拾作業が続いている。

コンセントの抜けてしまった原発

「福島第1原発から半径30キロ以内は屋内退避を」、 菅首相

東京電力福島第一原発の上空からの様子(2011年3月14日撮影)〔AFPBB News

 今回の災害全体、1945年8月の太平洋戦争終結以来、日本が直面する最も深刻な事態だと思われる。もちろん今までにも阪神・淡路大震災や東海村JCO臨界事故など、甚大な災害はあった。

 だが今回の事態は、1次災害の天災と、2次災害と、おのおの単体でも支えきれない状況が同時に日本で起きている。被災者も政府も自治体も、並行して対処しなければならない。

 かつての第2次世界大戦中を除いて、日本がいまだかつて体験したことのない非常の事態に直面している。

 広島、長崎への原爆投下以来、日本は「唯一の被爆国」として66年間、核の脅威と平和の重要性、核兵器の全廃を訴えてきた。

 これと同時に、原子力の平和利用の旗手として発電プラントの開発の取り組み、極めて高い安全基準に基づく日本の原発の安全神話は、世界に広く知られていた。

 そんな中での3月11日の震災後、外部動力源を絶たれた福島第一原子力発電所の状況は、想定された安全装置の大半が効かなくなってしまい、たて続けに危機的な事態が発生している。

 この点では、外部からの電力が供給されつづけ、各種の安全機構が働き続けている「福島第二原子力発電所」の状態と「福島第一」は全く異なっている。