易姓革命を繰り返す中国は、前王朝の歴史を否定することによって自己を正当化できた。白を黒に塗り替えることで権力を維持することができたのだ。
国民の支持を問うこともなく権力者になった者は、誰かを悪者とする敵に見立てる必要がある。
悪者にされているのは華夷秩序に従順でない日本である。その仕かけが歴史戦であり、「南京大虐殺」である。
独裁政権(あるいは絶対君主)下の国民は自由を制約され、真実を知る権利も語る権利も剥奪され、権力者が「強いること」を語らなければ生きられないように運命づけられている。
強いられることが嘘と分かっていても否定できないし、むしろ拡大することが歓迎されるという悪循環を生み出すこととなる。
南京大虐殺が正しく格好の題材である。地道な歴史研究で白の証明をすることが論理的であるが、統治の手段として敢えて白を黒とする相手に論理は通用しない。
以下に、「南京大虐殺」はなかったことを証明し、統治の手段として利用している現実を確認する。
朝日新聞社が戦場に送った慰問団
支那事変が始まって約半年後の昭和13年1月、朝日新聞社は吉本興業の協力を得て、華北と華中に慰問団を派遣した。
華北の慰問先は大連・天津・石家庄・太原・通州などであり、華中は上海・南京・蕪湖・蘇州・杭州などであった。
昭和13年1月5日付「東京朝日新聞」は「戦線へ初春の慰問団」の見出しで、誇らしげに次のように社告を掲載した(早坂隆著『戦時演芸慰問団 「わらわし隊」の記録』、以下同)。
「本社が全国国民より出征皇軍慰問のため寄託された資金は目下約32万円の巨額に達してゐるが、(略)今回右皇軍慰問資金の一部をもって更に軍当局の援助を得て北支戦線および中支戦線に左の通り慰問映写班ならびに慰問演芸班を派遣することに決定」
「慰問演芸班 陣中への新春笑ひの慰問として吉本興業部の協力により、漫才に落語に講談に浪花節に全員第一流のメンバーをすぐり」という通り、「わらわし隊」と呼ばれた慰問団には柳家金語楼、花菱アチャコ、横山エンタツ、ミスワカナなどが入っており、東京を昭和13年1月15日に出発する。
当時の朝日新聞は「軍用機献納運動」を展開して多額の寄付金を募り、昭和12年の下半期だけで611.5万円を集めた。