自由貿易と保護主義の対立を理論的に解説する。頭ごなしに「アメリカが・・・」などと言うより、条理を尽くして教える方が、どれだけ本物に育つことか。

 前回、欧州でのAIデバイド対策の議論をご紹介したところ、「あおりっぽい」というような読者コメントがあるのを目にしました。

 なかなか典型的に島国のリアクションだと思いました。

 しかし、そんな島国の日本でも、深刻な働き手不足によって海外から労働力を得ようとしている現実があります。

 「賃金が低廉である」という観点、また「社会保障など正社員相当の扱いをしなくてもよい」といった考え方で、安易な<受け入れ>が考えられている可能性がありますが、これは極めて由々しいことだと言わねばなりません。

 かつて日本は、南米などから導入した労働力を、使うだけ使い倒したうえ、追い返すといった仕打ちをしています。

 足を踏んだ方は簡単に忘れるかもしれませんが、踏まれた方は決して忘れることはありません。

 その国の良質な労働力が、かつてはせっかく日本を目指してくれていたのに、もはや見向きもしない、と言ったことに簡単になってしまう。

 ご都合で人材の導入を考えると、必ず因果は巡って自分のもとに帰ってきます。

 こういった「ビジネス倫理」の問題を提起すると、「採算性を考えない大学人の抹香臭いお説教」「ハイハイ・・・」といったリアクションで返されることが、日本では少なくありません。

 日本ではというのは、島国ではと言い直してもいいかと思います。

 というのも、少なくともドイツを見る限り、ビジネス倫理は、企業経営の足を引っ張るお説教ではなく、各企業が国際的に展開するうえでの「武器」として教えられている現実があるからにほかなりません。

 ではどうして「倫理」が「武器」なのか?