講談社が主催する第61回「群像新人賞」を受賞した小説「美しい顔」(北条裕子)に、ノンフィクション「遺体 震災、津波の果てに」(石井光太 新潮社)はじめ5冊ほどの主要参考文献が存在し、特に石井作品と酷似する表現が見つかったため、講談社から「お詫び」が出る事態となりました。
錯綜したやり取りがありましたが、かいつまむと、講談社は、異例の措置として当該原稿を無料公開(http://book-sp.kodansha.co.jp/pdf/20180704_utsukushiikao.pdf)して信を問う態度を示し(http://www.kodansha.co.jp/upload/pr.kodansha.co.jp/files/pdf/2018/180703_gunzo.pdf)、
新潮社などは大いに違和感で応じる(http://www.shinchosha.co.jp/news/article/1317/)といった展開になっています。
以下では、かつて開高健賞という文学賞を受け、現在はあちこちで選考委員なども務める一個人の私の考えとして、もっぱら石井光太氏の仕事の「本物ぶり」に触れ、そこから自ずとあぶり出されるものが読者に伝わることを期待したいと思います。
石井光太さんとは現在に至るまで面識がありませんが、開高賞の第2回で候補に選ばれ、編集部の強い支持がありながら受賞に至らなかった経緯の裏側など漏れ聞くこともありますので、モノを作るとはどういうことか、専ら(特に精神的に)若い読者を念頭に、平易にお話ししたいと思います。
石井光太「物乞う仏陀」のこと
石井光太氏の名を知ったのは、オウム真理教事件から10年を経て、事件の記憶が風化して行くなか、何とかせねばならないと思っていた最中のことでした。
某社から「マインドコントロール」という本の執筆を打診され、1冊分の予定稿を書き上げた段階で担当が書籍から週刊誌に移動してしまったために、宙づりになってしまった原稿を、集英社の編集者、中村信一郎さん(故人)が目に留めてくれ、ノヴェライズド・ノンフィクションとして書き直す提案をされました。
「開高健賞」の事務局担当でもあった中村さんは、当時進んでいた月刊誌矢継ぎ早の休刊とノンフィクションの衰亡を憂え、力のある書き手を探していました。