かつて読んだ論文に、渡部昇一氏が「孫ゼロの時代」を語っているものがあった。友人たちには子供はいるが、孫となると一人もいない友人も多いことに気づいたというのである。
渡部氏のような高名な人が学術的なことばかりでなく、友人の家族構成など世俗的なことにまで関心が及んでいるのに感銘を受けた。
神学的な論争に走りやすい学者(野党政治家も含めていいかもしれない)が多い中で、地に足をつけて日本の行く末を心配される氏こそ、世を益する本当の学者ではないだろうか。
実際、人口推移をみると、日本がなくなるかもしれないという恐怖を感じる。「結婚しろよ」とか、「子を産めよ」とは人権侵害やセクハラなどと批判される時代であるが、それでは日本自体が消滅しかねない。
子供をもつことの重み
筆者はかつて子供を持ちたがらない共働き夫婦(DINKS=Double Income No Kids)は日本社会の敵ではないかという趣旨の下記一文をJBpressに投稿した。
「多産家族こそ日本の救世主、DINKS志向は社会の敵―スポーツや芸能関係者だけを顕彰する制度に異議あり」である。
上述の拙論では金額を示さなかったが、その後のこの種論調で3人目以降に1000万円支給を挙げている識者もいたことを記しておきたい。
「産めよ増やせよ」の時代のように、国家権力によって国民が動かされた戦前・戦中などと異なることはよく分かる。
しかし、「待てよ」と立ち止まって逡巡しているうちに、人生をエンジョイするために子供をもたなかった人も高齢となり、介護してくれるのは他の人が産み育てた子供であり、あるいは介護用のAI機器などであろう。
自分たちには子供がいない分、多くの税金を納めたので子供を産まなかった責めは相殺されるという考えもあろう。しかし、それは自分勝手な言い分ということが分かるだろう。
突飛な例かもしれないが、湾岸戦争で日本も軍事行動への参加を要請されたが、憲法の制約から要請に応えることができず、軍事行動にかかった戦費のかなりを負担することにした。
その額は老若男女問わず、国民1人当たり1万円に相当する約1兆3000億円(130億ドル)に上った。