ウィキリークスの一連の事件を見ていて、日本語インターネットがひどくつまらない世界のような気がしてきた。

 私はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を2つ使っている。「フェイスブック」と「ツイッター」だ。何で使い分けているかというと、言語だ。フェイスブックは英語専用、ツイッターが日本語専用なのだ(ミクシィも使っているが、匿名なので人脈構築に役に立たない。カーミットのファンコミュニティー以外は開かない)。

 先に使い始めたのはフェイスブックだ。米国の取材関係者やジャーナリスト仲間、コロンビア大学院時代の友だちなど、海外の友人と連絡を取ってみたいと思ったのだ。

 昔の名簿や名刺を片手にフェイスブックに名前を打ち込み、片っ端から検索してみると、出るわ出るわ。英語でメッセージを書く。フレンドリクエストを送る。「覚えていますか? ヒロ・ウガヤです」と。

 ほぼ全員と連絡が取れた。勢いに乗って中学の頃のペンパル、ホームステイしたカリフォルニアの家族、米国やブラジルに移民した親戚、を検索したら、彼らとも簡単に連絡が取れた。数十年も消息不明だったのに、フェイスブックのおかげであっという間に連絡を取り合うようになってしまった。

 米国人やブラジル人だけではない。フランス人、英国人、インドネシア人、フィリピン人、タイ人、韓国人、パレスチナ人、ガーナ人とどんどん「フレンド」が広がっていく。

 約1年で世界50カ国くらいの「フレンド」ができただろうか。世界中の学生が集まる大学院に留学した時と同じような「世界が1つの空間に凝縮されている感覚」が戻ってきた。本当に楽しい。

 この世界50カ国の「フレンド」の間の共通言語が英語なのだ。私が東京のクリスマスのイルミネーションの写真を公開すると、フランス、オーストラリア、フィリピン、英国など様々な国の人が英語で感想を書き込んでくれる。「きれいだねえ!」「東京に行ってみたいなあ」とかそんな他愛のない内容だが、世界中のグローバルなコメントがずらっと自分の写真に並んでいるのを見ると、これはインターネットでしか起こり得ない奇跡だとしみじみ感動する。

 利用者は世界に7億人いるそうだから、おそらくインターネットを使うかなりの割合がフェイスブックに入っているのだろう。つまりフェイスブックが「世界標準SNS」になってしまったのだ。