中国に渡ってからの15年間、留学から起業に至るまでの道のりを振り返っている。
【前回の記事】「あなた社長になりなさい!中国人妻が僕に命じた起業」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50279)
張さん(仮名)の日本語学校での勤務も限界を迎え、異国の地で無職になった。しかし、家内の強引な説得と後押しを受けて、上海で会社を設立することにした。「何をするかは作ってから考える!」という中国人の家内のポジティブ思考に押し切られ、事業内容も決めていないまま、社長としての生活が始まった。
何をするか?
会社を作るのは簡単だった。さて、問題は”何をするか?”だった。
勢いで会社を作ってしまっただけに2人ともノーアイデア、それでも2人で一生懸命に頭をひねった結果、思いついたのが「貿易をやる」ということだった。
だが、貿易といっても輸出も輸入もある。食品も衣料も工業機械も、何でもある。さらに言うなら、ポッと出の小さい会社である僕たちは「貿易」はできなかったのだ。
国際貿易にはライセンスが必要で、中国では、そのライセンスを持っている会社でなければ国際貿易の取引ができない。だから、僕たちはそういうライセンスを持っている会社を通じて取引をするしか方法がない。つまり、僕たちが始めたのは、正確には「貿易仲介」だった。