イノベーションの第4の機会──「産業構造の変化」
「産業や市場の構造は非常に安定的に見えるため、内部の人間は、そのような状態こそ秩序であり、自然であり永久に続くものと考える。しかし現実には産業や市場の構造は脆弱である。小さな力によって簡単にしかも瞬時に解体する」
(『イノベーションと企業家精神』ピーター・ドラッカー著、上田惇生訳、ダイヤモンド社)
新潟にとって画期的だったコシヒカリの導入
日本のコメのチャンピオン「コシヒカリ」が初めて新潟県に導入される時、その食味の良さはほとんど評価されていませんでした。
確かに食味は良いのだが、収量が多いわけでもなく、農家にとって嫌な「倒伏」(イネが倒れてしまうこと。稲刈り作業が大変になる上に品質が低下することも多い)しやすい品種ということで、むしろ投入しない方がいいというのが新潟県の考えでした。
コシヒカリの素質の良さを分かってもらえない導入派の人たちは、とんでもない理由をつけて新潟県に導入を承諾させます。
今の農家は肥料がふんだんに手に入るから、イネに肥料をやり過ぎて倒伏させてしまう。その悪い癖を直させるために、あえて倒伏しやすいコシヒカリを導入すべきだ、としたのです。
そんなむちゃくちゃな主張に折れて、1963(昭和38)年に新潟県はコシヒカリを奨励品種に指定しました。
日本でコメの自給率100%が達成されたのは68年。減反開始が70年。新潟でコシヒカリの普及が進んだのはそんな時期でした。ちょうどその頃、絶妙のタイミングでコメ市場が食味重視に変化しました。
かつて新潟のコメは、「鳥も食わないでまたいで通るほどまずい」という意味の「鳥またぎ米」とさえ言われていました。それがコシヒカリの登場で、日本一のブランド米産地となったのです。
日本一の座を虎視眈々と狙う北海道
それから約40年たった2010年、北海道産の新品種「ゆめぴりか」の東京での販売が始まりました。
北海道は以前から打倒コシヒカリに情熱を傾け、「きらら397」をはじめとした新品種の導入を進めてきました。その努力は相応に認められ、現在は新潟に次ぐブランド米の産地としての地位を築いています。