毎週水曜日にお送りしている徹底解説自衛隊。これまで、終戦後に自衛隊が誕生した背景、国内での災害派遣での活動、また海外PKO活動に参加するようになるまでを時系列に沿って詳しく見てきた(前回はこちら http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/49687)。
今回は最新の海外PKOにおける自衛隊の役割と成果について解説する。前回解説したゴラン高原、東ティモール、アフガニスタン、イラク、スーダンに続き、今回はハイチでの業務から最新の南スーダンまでを振り返る。
12.ハイチ国際平和協力業務(2010年2月~2013年2月)
ハイチでは2000年の議会選挙および大統領選挙の結果政治的対立が激しくなり、国内騒乱・暴動へと発展した。この状況の中、2004年2月に反政府勢力が蜂起し内戦状態、無秩序状態へと発展した。
これに対して国連安保理は決議を採択して、同年3月、多国籍暫定軍(MIF)を現地に展開させて治安回復を図った。
国連は、さらに治安回復、国家機能の再興・充実を図る必要があるとの判断から、新たな安保理決議(第1542号2004.4.20)を採択して国際連合ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)を設立(2004.6.1)し、MIFを引き継いでハイチの国家機能の回復・充実を継続支援することとした。
このような状況の中、2010年1月12日に大地震が発生し、ハイチは大きな被害を被った。国連安保理は、被害の緊急的な復旧を図るとともに国家機能の復興を促進させる必要があるとの判断からMINUSTAHの派遣人員の増強を図る安保理決議(第1908号2010.1.29)を採択した。
これに基づく国連からの要請に対し、我が国はハイチ国際平和協力業務を実施することを閣議決定(2010.2.5)し、ハイチ国際平和協力隊を設置した。
ハイチ国際平和協力隊は、MINUSTAHの中の軍事部門を形成し、司令部要員として第1次2人を2010年2月24日から半年間、以後2013年1月30日に任務を終えて帰国するまで、半年ごとに2人を第6次まで派遣し、合計12人の自衛官が司令部要員として職務を遂行した。
地震被害の復旧支援の実働部隊としては、2010年2月6日以降、陸自施設部隊から第1次として203人が派遣され、第1次のみ1か月という期間を除き、第2次以降第7次までで合計2140人の隊員が災害復旧支援業務に従事した。
この間、施設部隊はがれきの除去、敷地造成、道路補修などのほか、国連資金を活用して、孤児院施設および結核診療所施設、小学校校舎の建設等を企画し実施した。また国連施設の耐震診断あるいは施設部隊に随行している医官による現地コレラ対策への協力など、専門性を生かした支援も行った。
また、現地に派遣されていた韓国部隊との共同作業、我が国ODA事業への支援やNGO活動に対する支援など多方面にわたる活動を積極的に行った。
航空自衛隊は、空輸隊を編成して、本邦、ハイチおよび米国(フロリダに先遣隊配置)との間で、C-130H輸送機、KC-767空中給油・輸送機および政府専用機により人員や物資・装備機材等の空輸により活動を支援した。
ハイチ国際平和協力隊は、2013年2月にすべての任務を終えて日本に帰国した。なお、帰国に先立って、我が国はハイチ政府の要請を受けて、現地で使用してきたドーザーなどの施設機材をハイチ政府に譲与した。
また、国連からの要請を受け、現地宿営地内に保有していたプレハブ建物および付属設備・備品などを国連に譲与した。