東日本大震災と福島第1原発事故、発生から5年

宮城県仙台市で、東日本大震災の犠牲者を悼んで海に献花するきょうだい(2016年3月11日撮影)〔AFPBB News

 私は南相馬市立総合病院で外科医として研修をする傍ら、地域住民や地域の復興に従事する作業員の健康相談に参加したり、放射線災害を中心に災害が健康に及ぼす影響に関して研究している一医師だ。

 先日「原発慰謝料増額、東電と1人和解」という原発事故前に浪江町に居住されていた方の記事が日本経済新聞の社会面の端に載っていた。

 東京電力が福島第一原発事故の損害賠償を巡り、ADR(原子力損害賠償紛争解決手続)や裁判を通して被災した住民と争っているケースを少なからず抱えているということを報道などで見聞きはしていた。しかし、このことに関して詳しく知るようになったのはつい最近のことだ。

 そういった法的紛争に関して、実際に身近に触れる機会となったのは当院内科・坪倉正治医師といわき市の渡辺淑彦弁護士が主宰する勉強会だ。

原発事故で避難を余儀なくされた人たちの死

 2016年6月から行なっているその勉強会では、原発事故がきっかけで避難が必要となり、その避難が影響で亡くなられたり、後遺障害が生じたと考えられる人やその家族が東京電力に対して起こした法的紛争の中で、医学の専門的な知識が必要となった事例に関して弁護士の方々からご相談を受ける場となっている。

 専門の異なる医師と弁護士が協力し、実際に原発事故がどのように亡くなられた方々に影響を与えたかに関して議論する。

 2011年3月11日の東日本大震災での地震と津波によって福島第一原発事故が引き起こされたことは周知の事実であり、原発事故による直接の死者がいなかったことはもちろん不幸中の幸いである。

 しかし、その事故によって生じた避難の影響で多くの方が命を落としたということは意外と知られていない。

 震災当時、最も原発事故の影響を被った福島県相馬地方および双葉地方(以下、相双地区)では、双葉郡内にあった6つの病院すべてと相馬郡内にあった10病院中7病院で入院患者が避難を強いられた。

 重症の患者は自衛隊ヘリなどで移送されたが、ほとんどの患者は着の身着のまま、バスに詰め込まれ、十数時間にも及ぶ移動を強いられた。バスに乗り込んだ患者の中にも、座位が保てない寝たきりの患者や、普段点滴をしているのに外されてしまった患者もいた。

 そもそも入院が必要な状態の患者を移動させたために、移動中に命を落としてしまったケースや長時間の移動により体調を崩しその後亡くなったケースもままあった。