筆者があえて「反日デモ」という言い回しを使わなかったのは、それが中国政府・民衆に対する過大評価に当たるからだ。

日本は中国にとってただの外国ではない

 そもそも、中国・中国人にとって、日本は単なる「外国」ではない。日本人も「外国人」ではない。歴史的、現実的、そして未来的志向に立って見てもそうである。

 共産党による政権の奪取は「抗日戦争における偉大なる勝利」を正当性としている。日本に対する「徹底抗戦」があったからこそ(イデオロギー的には今でもあるからこそ)、中国共産党は「合法的に」存在する。

 逆説的であるが、「日本を批判すること」=「政治的に正しい」という方程式が成立するのである。

 家庭内で、学校で、そして社会の至る所で、プロパガンダが中国人民の血液に注がれてきたのだ。大衆は政府が対日外交において弱腰になることを許さない。

 一連のデモを俯瞰しながら、ある事態を懸念している。それは、2005年、筆者が北京でこの眼で目撃した「愛国無罪」が「反日無罪」に「深化」してしまうのではないか、ということだ。

中国の苦しい内政問題を理解せず逆撫でする言動は慎みたい

元空幕長らの団体が代々木で集会、中国対応で民主党政権を批判

反中集会で演説する田母神俊雄・前航空幕僚長〔AFPBB News

 漁船衝突事件を巡る日本側の対処法、一部政治家の言動など、中国人の自尊心を逆撫でする人為的要因は日本側にも存在する。

 政治家、企業家から留学生に至るまで、こういう時期だからこそ中国・中国人とのお付き合いには慎重に慎重を重ねるべきである。

 ただ、「反日」を装ったデモは本質的には中国の内政問題である。このことを一番理解しているのは中国政府自身なのだ。

 日本のメディアでは、「中国共産党は反日を煽り、それをカードに日本に圧力をかけようとしている」という論調が蔓延している。日頃から中国の要人と付き合い、本音ベースで議論している筆者からすれば、このロジックも対中国共産党過大評価だ。

 昨今の中国共産党は毛沢東時代の「革命党」ではなく、立派な「執政党」である。社会主義というイデオロギーは保ちつつも、市場経済で国家運営を進める与党なのだ。