(ロンドンより)
50年前の今月は、毛沢東が文化大革命を始めた月だ。それは、政治イデオロギーの名のもと、毛沢東個人の権力を拡大するために実行された混乱と迫害、暴力の10年であった。
しかし、中国政府はこの破滅的な負の遺産を反省するのではなく、文化大革命に関するすべての議論を禁止している。そして中国市民は、30年にわたる市場志向の改革によってもたらされた富に目を向けて、甘んじて政府の方針に従っている。
しかし、習近平主席が冷酷な粛清を実行し、個人崇拝の偶像を作り上げている現代のような時代において、過去を闇に葬る代償は高くつく。
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1966年8月、毛沢東は、「司令部を砲撃せよ―─ 私の大字報」という文書を出した。これは中国共産党の中で資本主義に寄っていた実権派だった第二主席の劉少奇を粛清しやすくすることが目的だった。この「大字報」の中で毛沢東は、中国の若者層に「皇帝を馬上から引きずりおろせ」、そして反乱を起こせと呼びかけた。