神秘的な氷の世界「千歳・支笏湖氷濤まつり」開幕

北海道千歳市の「千歳・支笏湖氷濤まつり」で、ライトアップされた氷のオブジェを楽しむ人々(2016年1月29日撮影)〔AFPBB News

 計画から43年、3月26日、北海道新幹線が開業した。東京から新函館北斗まで最短4時間ちょっと、東京博多間が5時間ほどだから、九州北海道間を10時間程度で結ぶことになる。

 最速260キロ。しかし、青函トンネル内は140キロに制限されるので、少々時間がかかる。運賃が割高なのも、開業から30年近くとなる青函トンネルの維持管理費用がかさむことが一因だという。

 そんな青函トンネル開通に身を捧げた人々の物語『海峡』(1982)では、1976年、荒れ狂う津軽海峡を眺めながら、若者たちがこんな会話をしている。

「信じられないなあ。この海の底を新幹線が走るなんて」
「新幹線なんて、まだいつのことだか」
「でもさ、ドーバー海峡より長いんだろう」
「世界一なのよ。長さだけでなく、トンネルを掘る技術も」

4半世紀を費やした工事

 4半世紀を費やした工事は、34人もの犠牲者を出した。その苦難の道のりをたどるこの映画は、1954年9月、青函連絡船洞爺丸他の遭難を伝える映像から始まる。

 乗客、職員1430人が死亡。海岸に横たわる犠牲者たち。「津軽海峡連絡の安全をはかるためには、一日も早くトンネルを完成させる以外ない」との声がかぶる。

 翌年、「津軽海峡ずい道技術調査委員会」設置。本州側竜飛崎沖海底地質調査が始まり、京都大学での地質研究歴をもつ国鉄マン阿久津が竜飛に赴任する。「津軽海峡冬景色」で「北のはずれ」と歌われた地だ。

 「2万年前には本州と北海道は氷でつながっていた」と語るナレーションは、地層について説明を加えたのち、「地殻変動で竜飛崎と白神岬だけが盛り上がり、海峡ができた」とも解説する。

 「昔から難所中の難所だ」と話す漁師たちの姿もある。土地の人々と心を通わせ調査を続ける阿久津。しかし、「2年か3年で転勤という国鉄のしきたり」で明石海峡調査へと移る。

 国鉄総裁が変わり、1963年8月、青函トンネル試掘調査実施決定。翌64年10月1日、東海道新幹線開業。続いて、9月に辞令を受けた阿久津が、青森行急行十和田3号に乗る姿。全国のトンネル男総動員がはかられるが、寒さの厳しい地に引っ張ってくるのは難しい。