このアイドル養成モデルの原型は、AKB48だろう。AKB48をプロデュースした秋元康氏は、AKB48を高校野球に例えている。最初はへたでも、みんなが一生懸命がんばって、次第にうまくなる。そのプロセスをファンと共有できるようにプロデュースするのが秋元戦略だ。

 ももクロの育成をまかされたマネージャーの川上アキラ氏は、AKB劇場を見に行って、そのプロデュース戦略の完成度に感心したという。そして川上氏は、高校野球をヒーローマンガに置き換えた。数々の困難に立ち向かって、友情を育みながら成長し、最後に勝利するというストーリーは、少年マンガの王道だ。この物語をアイドルに実演させようと考えた。この発想は面白い。

 ヒーローマンガのルーツをたどると、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」に行きつく。8つの玉を宿した8人の若者が出会い、友情に結ばれ、やがて囚われの身の姫を救い出すというこの物語は、サイボーグ009、ドラゴンボール、ワンピースなど、多くの少年漫画に絶大な影響を与えた。そして、サイボーグ009の系譜を組むゴレンジャーのコスチュームを身にまとい、戦うヒロインとして登場したのがももクロだ。

 初期にはメンバーがかなり入れ替わっているが、おそらく「数々の困難に立ち向かって、友情を育みながら成長」するユニットのメンバーを試行錯誤で選んだのだろう。そして、このメンバーならいけるという6名が決まった時、次にやったのは、盛岡から福岡まで、ワゴン車に車中泊をしながら家電量販店をまわって店頭ミニライブを続ける夏休み全国ツアーだった。この過酷なライブツアーを「戦い抜いた」メンバーは、戦友だ。信頼関係で結ばれ、少々の困難にもたじろがずに、目標に向かってがんばるチームができた。

 そこで満を持してのデビューが2010年。そしてそのとき彼女たちが誓い合った目標が、「紅白歌合戦出場」だった。「あの空へ向かって」で漠然と抱いた夢が、「紅白歌合戦出場」という具体的な目標に変わった。この目標は、たぶん自分たちで立てたものだろう。

ファンに喜んでもらうために「戦う」ももクロ

 ももクロのコンセプトは、いつも笑顔を絶やさず、ひとりでも多くのファンに元気をあげることだ。したがって、目標はCDの売上などで評価される賞ではダメなのだ。国立競技場を満席にする、というようなファンの支持こそ、ももクロの成功の指標だ。