【AFP記者コラム】ノーベル賞取材の神経戦、予想から速報まで

スウェーデンの首都ストックホルムで、2015年のノーベル文学賞の受賞者を発表するスウェーデン・アカデミーのサラ・ダニウス事務次官(2015年10月10日撮影)〔AFPBB News

 今回は、やや私的な例を挙げて、本物を育てる教育とはいかなることかを考えてみたいと思います。

 11月16日、訃報が届きました。前日の15日、私が中学時代の恩師、校長先生が亡くなられたという同級生からの知らせ、91歳の大往生とのことでしたが、自分の中のある「支え」をいただいた先生で、通知にあった霊安室に、昼休みにご挨拶にお伺ってきました。

 お元気だった頃、いつもそうだったように、きりりと背筋を伸ばして、穏やかな表情で先生はお休みになっておられました。祭壇やお花、線香など一切なく、本当に簡素なお送りながら、これほど心の籠もった、実に満ちた場はかつて経験したことがなく、死生観にまた1つ、恩師からお教えを受けました。

 大坪秀二先生。長年私立武蔵高等学校・中学校を牽引し、この学校の戦後の学風を確立したといってOBの大半からほとんど異見が出ない、不出世のこの先生の追憶を辿りながら、日本の教育の創造性について考えてみたいと思います。

「諸君を紳士として遇します」

 1977年4月、12歳の私は小学校を無事卒業して中学に入学しました。入学式で誰が何を話したか、など、ほとんどすべて忘れてしまいましたが、式の冒頭で校長が壇上から話された一言は鮮明に記憶に残っています。

 「今日から諸君を紳士として遇します」

 正確には言葉尻が違ったかもしれませんが、こういう意味内容のことを話され、全く意外だったのでポカンとした印象を持った記憶だけが残っています。

 たぶんその後は、隣の「紳士」と雑談したり、仲良くなれば遊び出してしまうのがガキの常ですから、ろくろく話など聞かず、当時の私は勝手なことをしていた「紳士」未満だったように記憶しています。

 実際、中学1年次の私はまともに勉強などせず、成績は低迷、特に物理など赤点を食らい、これは相当身に堪え、最終的にこれが、大学で物理を専攻する決定的なきっかけにもなりました。多感な思春期に教師からもたらされる一言は、意外なほど子供の心に残るケースがあると思います。

 しかし、この大坪先生の「紳士として遇する」という一言の後ろには、知行合一の大変な努力があったと、改めて今回知り、「仰げば尊しわが師の恩」と痛感したのが「名刺のシャフル」でした。