シリア、イラク、アフガン、パレスチナ、イエメン、リビア、ソマリア・・・。
戦争、テロ、誤爆、抑圧、貧困、生死を分ける運命さえ自ら決められない人々、それを助長するばかりの政治と無力な国際社会、弁護と非難の応酬に終始する政治家たち、扇動し扇動される「知識人」そして「普通の人々」。それは非紛争地帯にも及ぶ。歴史にも及ぶ。
そんな様子を伝え感情を刺激するテレビのニュースワイドショーは、突然、菓子、IT機器、ブランド品、自動車、家、投資・・・、様々な欲望をかきたてる騒がしいコマーシャルに切り替わる。
人は本来平等であり、自己保存のためあらゆることを行う自由を持つ。しかし、皆がそんな自然権を無制限に求めれば、「万人の万人に対する闘争状態」となる。
だから、理性に基づく契約を結び、自然権を保障する絶対的主権にそれを譲渡しなければならない。17世紀、トマス・ホッブスは、海の怪物「リヴァイアサン」のごとき国家との「社会契約」をこう記した。
権力の横暴に苦しむ男の物語
先週末から劇場公開中のロシア映画『裁かれるは善人のみ』(2014)の原題は「レヴィアファン」、英語で「Leviathan」。
今年のアカデミー外国語映画賞候補となったメタファーに満ちたこの映画の着想を、アンドレイ・ズビャギンツェフ監督はこのホッブスの著作「リヴァイアサン」からも得たという。
荒涼とした大地。鯨と思しき生物の巨大な骨が横たわる海岸。バレンツ海を望むロシアの小さな町で、自動車修理工コーリャは、祖父の代から暮らしている。
その地を不当に安く収用しようとする市と係争中だが、再開発を推し進めたい市長は高圧的だ。結局、敗訴するが、友人である弁護士が過去の悪事をネタに、市長にコーリャの希望額をのませた。それでも、警察にも司法関係者にも「力を持つ」市長は・・・。
この権力の横暴に苦しむ男の物語は、2004年6月、米国コロラド州で自動車修理工マーヴィン・ヒーメイヤーが起こした「キルドーザー事件」もベースにしているという。
市が計画した隣接地への工場建設に反対するヒーメイヤーは訴訟を起こした。同調する市民もいたが敗訴。