吉田松陰の肖像画(ウィキペディアより)

 NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」でも話題の吉田松陰。幕末において数多くの志士を育て、日本変革の原動力となり、そして人々の心を奮わせる数々の言葉を残した吉田松陰は、29歳という若さで、この世を去った。

 彼は刑死する前日、徹夜で遺書とも言える「留魂録」を書き上げた。

 「身はたとへ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」

 「留魂録」はこの一節から始まる。明日、生物としての命を失うことになるが、それでも私はまだ生きて日本を国難から守る。

 これは私なりの解釈であるが、この言葉を読み返すうちに、「生きる」ということの定義を改めて考えさせられた。

生きることの定義

 生物としての命を維持することを「生きる」と言うのか、それとも成し遂げたい想いに向かって邁進し続けることを「生きる」と言うのか。

 毎日、クタクタになるまで仕事をし、家に帰ると風呂に入って寝るだけ。日々、忙しく一生懸命に働いているし、充実していると言えば充実している。しかし、自分の人生、果たしてこのままでいいのだろうかという漠然とした悩みが頭から離れない。

 こういう会社にしたい、こういう仕事がしたい、こういう人間になりたいというイメージはあるのだが、日々の仕事に追われ、それどころではない。

 私は経営コンサルタントとして経営者・管理職の方のご相談を受けることが多いが、これまで何度となくこういった悩みを聞いてきた。

 それほど多くの方が抱えている悩みである。