海兵隊はもちろん報復攻撃をするつもりだった。コンウェイ海兵中将をはじめとする海兵隊指揮官たちは前線の状況を知っており、後方(バグダットの一角、サダム・フセインの宮殿にはグリーンゾーンと呼ばれる安全地帯が存在し、後方地域的存在であった)の連合国暫定当局や高級司令部の人々よりも激しい怒りと復讐心に燃えていた。しかし、「怒りに任せた過剰反応はさし控え、じっくりと着実に犯人を見つけ出して全員を殺害して報復する」との決心を固めていたのである。

 しかしながら、海兵隊の「慎重に、かつ確実に、武装勢力だけに対するピンポイント攻撃を実施する」という基本戦略は実現されなかった。なぜならば、アメリカ民間人が惨殺され遺体が損壊された模様を見たアメリカ軍最高指揮官のブッシュ大統領は激怒し、感情的になり、そして極めて好戦的になってしまったからである。「このようなアメリカ人に対する残虐行為は、サダム・フセインの圧政からイラクの人々を開放したアメリカに対する嘲りであり、重大な挑戦であり、即刻報復しなければならない!」

 ホワイトハウスは、イラクの統合任務部隊司令部に対して、直ちにファルージャに巣食う武装勢力を殲滅するための総攻撃を開始するよう命令した。それを受けた統合任務部隊司令官サンチェス中将は、4月3日、ファルージャ攻撃開始に関する文書による公式命令を第1海兵遠征軍司令官コンウェイ中将に発した。「冷静な報復攻撃」を目論んだ海兵隊の意思に反して「冷静さを失った報復攻撃」が開始され、ファルージャは“この世の地獄”と化してしまった。

第1次ファルージャの戦闘(写真:米海兵隊)

「感情に流された報復」と「冷静な報復」

 海兵隊指導部は、アメリカ人たちを虐殺した犯人たちを逮捕するか殺害することにより報復しようとした。そのためには、犯人を特定するまでは激怒・復讐といった感情は胸の内に押し込んで、着実に犯人たちにたどり着くための冷静な作戦を立案して実施する必要があった。まさに「冷静な報復攻撃」を目論んだのである。