しかし、RCT-1司令官トゥーラン大佐は「直ちに海兵隊が急行して、損壊を加えられている遺体を回収しようとする場合、少なくとも数百人の群衆を子供も含めて殺害することになるのは確実な状況である」と状況を分析した。したがって、「同胞が虐殺された怒りは別にして、海兵隊は静観せざるを得ない」と判断した。このトゥーラン大佐の判断を、マティス少将もコンウェイ中将も支持し、海兵隊は興奮した群衆の騒ぎが収まるまでは涙をのんで出動を差し控えることとなった。

即座の報復を主張したサンチェス陸軍中将

 群集たちは黒焦げになり手足が引きちぎられボロボロになった遺体を車にロープでぶら下げると、アメリカ軍がブルックリン橋と呼んでいるユーフラテス川に架かる鉄橋まで引きずっていった。2人分の遺体がブルックリン橋の橋梁にロープでぶら下げられ、橋を取り囲んだ群衆が歓喜の声を上げ記念撮影をした。遺体を回収しようとイラク人看護婦たちが近寄ったが、遺体に触れたら殺害すると脅かされた。群集たちは夕暮れまで「臆病なアメリカ人め」と罵りながら気勢を上げていた。UAVの望遠カメラはこのような一部始終を撮影し、海兵隊司令部は惨劇の全容を把握していた。

 海兵隊、CIAとアメリカ各軍情報部は、直ちに襲撃犯人の特定を急いだ。すぐに20名ほどの武装勢力が特定され、指導者と思しき過激派のファルージャ市の高級住宅街の中にある住居や襲撃拠点とみられるファルージャ市内のアジトが浮上した。

 海兵隊RCT-1は、市街地での特殊作戦の専門部隊である陸軍特殊部隊6-26任務部隊の助力を得つつ、数週間をかけてじっくり襲撃犯人たち全員を捕獲あるいは殺害する作戦計画の立案に着手した。

 しかし、アメリカ人が惨殺された事件に激怒した連合国暫定当局のブレーマー特使(外交官)それに統合任務部隊司令官のサンチェス陸軍中将は、間髪を入れずにアメリカ民間人を殺害した行為に対して報復攻撃を加える必要があると考えた。