12月22日、中国共産党中央統一戦線工作部長(全国政治協商会議副主席を兼務)の令計画が党中央規律検査委により立件された。いわゆる「落馬」である。令計画の「落馬」は、かねてより噂されていたことから、サプライズ感はなかった。むしろ、遅かったくらいだ(12月31日、令計画が統一戦線工作部長の職を解任されたと報じられたが、兼職している全国政協副主席については触れられていない)。

 しかし、令計画の落馬をどう見るかは、実は簡単な話ではない。巷間、令計画を含め、すでに失脚した薄熙来、周永康、徐才厚と合わせ、「新四人組」という言い方がされてきた。この「新四人組」とは、習近平に取って代わり、薄熙来を首班とするクーデター計画の首謀者とされている。公安・警察・司法を周永康が押さえ、人民解放軍は徐才厚、党は令計画が押さえることによって、薄熙来政権を打ち立てようと目論んだとされている。

 もちろん、証拠はない。あったとしても表に出てくるわけではない。クーデター実施の期日は2012年3月19日とされ、当日、北京で銃声が聞こえたという話もまことしやかに流れたが、もちろん真偽の程は不明だ。確かなことは、クーデターは不発だったということだ。

 というよりも、王立軍(当時重慶市副市長、前重慶市公安局長)が四川省成都市の米国総領事館に駆け込み、薄熙来事件の発端となったのが2012年2月6日で、1カ月後の3月15日には薄熙来が重慶市党委書記を解任されている事実に照らして、クーデターなど企てる余裕はすでになかったはずだ。

「新四人組によるクーデター」シナリオは疑わしい

 しかし、本当に「新四人組」と言われるほど、この4人は結束していたのだろうか。