まずは南相馬市に帰還して子育てをしている母親の、最近の手記を紹介する。
一般住民の声をいまさらお伝えしたとしても、多くの人の心には響かないだろうが、でも、いまだにこうした事実が横たわっている現場を知ってもらいたいから、これまで幾度となく南相馬市に関する言論を展開してきた自分が、あえて放射線についてはじめて語る。
ここ、南相馬市で生きることは、自分で選び、自分で決めたこと。
何を言われようが「覚悟はできているから大丈夫」と思って3年半経ち、放射能に対しても勉強し、賢くなり、ママとしても強くなれたと思っていた。しかし、南相馬で病気になったり、亡くなったりする子供が出ると、心無い人から「やはり放射能の影響だ」、「被爆しているからだ」と言われてしまい、仲間や家族の気持ちも考えずに「福島からは早く出たほうがいい」とか、「南相馬は住めない町だ」とか強調される。
もう、お願いだからやめて下さい。
改めて言うことでもないが、私は、この南相馬市に2年以上住み、医療を生業としながら合間に復興支援活動を行っている人間である。さまざまな市民活動に携わってはいるが、基本的には周りを気にしない性格である。逆に言えば、たいして気にも留めないから、いろいろな場面に首を突っ込めるのかもしれない。良く言えば、「自我が確立している」ということだが、平たく言えば、「自分勝手で他人には左右されない」ということにもなる。しかし、この地元住民から冒頭のような手記を受けると、こんな私でも一言添えたくなる。