紅茶づくりに適していた沖縄の風土

 内田さんに初めて会ったのは2008年10月、沖縄県金武町が開いた「JAPANブランドシンポジウム」だった。このシンポジウムは、中小企業庁が主導する「JAPANブランド育成支援事業」の2008年度事業に、金武町商工会が応募した「琉球紅茶」が選ばれたのを機に催された。

 内田さんを含むパネリストの中に筆者も加わり、翌日には、シンポジウムの参加者らと金武町の農家が栽培する紅茶用の茶畑も見学した。茶の樹は苗木を植えたばかりの時期で、本格的な茶葉の収穫は数年後ということだった。

2008年に見学した沖縄紅茶の茶畑

 筆者は、新聞記者として静岡に勤務したときに、「茶」というタイトルの連載記事を地方版に100回にわたって書いたことがあり、静岡の茶の生産農家もあちこち取材した。農林大臣賞のお茶を目指して農家が忙しく茶畑を管理する姿を見ていたので、ちゃんと育つのかと心配になったが、その後の様子を内田さんに尋ねると、「沖縄の人と風土が紅茶には適していた」という答えが返ってきた。

 「ワイン用のぶどうや茶などを育てる地域の気候や土壌の個性を“テロワール”と言います。沖縄のテロワールは、まずインド・アッサムとほぼ同じ緯度で紫外線の強い太陽光が降り注ぎます。そしてミネラルが豊富な赤土や湧水の効果もあって、紅茶の味覚を決める豊富なタンニンの茶葉を育んでくれました。加えて、『てーげー主義』と言われる沖縄人のおおらかな気性もあります。過保護に育てることはせず、逆境に強い茶樹にしてくれました」

 そもそも内田さんが沖縄での紅茶栽培と製造を思いついたのは、沖縄の赤土がスリランカの土壌と似ていると気づいたからだ。福岡県出身の内田さんは、スリランカで茶園の経営や紅茶のブレンド技術を学び、日本で紅茶に関わる仕事をしようと、1995年に沖縄に移住した。紅茶の輸入販売や紅茶教室の講師などをしているうちに赤土に接して、紅茶の生産を決意した。それから、茶園の適地とともに沖縄に適した紅茶品種を探し、2004年に沖縄ティーファクトリーを設立、紅茶の製造販売事業に乗り出した。