病院が成功するカギは「医療のレベル」と「政治との距離」
92年4月、佐藤元美医師は藤沢町民病院が建設に着手する前の国保藤沢診療所長に就任しましたが、まだ病院開設の最終認可が下りていなかったことに驚きました。
佐藤医師は、診療活動に忙殺されながら、最終認可申請と医師集めに奔走しなければならなかったのでした。同時に、半年かけていくつかの地域医療の成功例と失敗例を分析したといいます。
佐藤院長はこう語ります。
「病院が失敗するのにはそれなりの理由があります。1つは、時代が求めるレベルの医療を提供できなくなることです。もう1つは、政治との距離です。政治と反目し合うと長続きしないし、べったりでは政権交代の時に危うい。政治とは適切な距離を保つことが肝心です」
佐藤元美医師は、忙しい中、町に出て、「皆さんの選んだ町長がすごいから、僕もここで病院をつくっているんですよ」と言って回ったといいます。
93年7月、常勤勤務医3名、ベッド数54床、内科、外科、小児科、整形外科を擁して藤沢町民病院は開院しました。
院長に就任した佐藤元美医師は、4つの専門科に分けてはあるものの、医師全員が診察して必要に応じて専門医が治療に当たる総合診療方式を採用しました。
200名ほどの外来患者は、ほとんどが町外の病院から転院してきた住民でした。地域の人々が安心して地元の病院に通えるようにという佐藤町長の悲願は、ようやく緒に就いたのです。
住民の検査が一巡して2年目には赤字に転落
佐藤院長が藤沢町に来て驚いたのは、あまりの医療過疎だったことです。藤沢町では一度も超音波検査を受けたことがないという住民がほとんどでした。
内視鏡も同様です。佐藤院長が内視鏡検査を行ったところ、比較的稀な膀胱がんが1年間で10例見つかりました。また、200人ほどに行った胃内視鏡検査では、5例の胃がんが発見されました。普通、人間ドックで胃がん患者が見つかる確率は1000人に1人といいますから、異例の多さです。
目が回るような忙しさの中で手術も開始し、訪問医療も始めました。
しかし、2年目になると反動が来ました。住民の検査が一巡してしまうと、当然ながら、がんは見つからなくなります。残った病気は、糖尿病や高血圧など、治療に長くかかり、根気のいる生活習慣病です。
症状が変わらない生活習慣病を抱えた患者は、診察などせずに薬だけ出してもらいたいと思うようになりました。
「問診しかしてもらわないのに、薬を受け取るのに1時間も待たされる診察は、時間の無駄で不合理だ」という投書が、病院の投書箱に山のように来ました。婦人会でも老人会でも病院への非難が相次ぎました。
当時、周りの医療機関では半年に1回顔を出せば、あとは無診察で投薬をしていた所もたくさんあったのです。
そのため、94年に病院は赤字に転落してしまいました。(つづく)