今、仮設住宅は4回目の梅雨を迎えています。
「ここには浜風が吹かないからまるで福島(市)みたいに暑いのよ」
先日お会いした住民の方から伺いました。
それまで海の見えない所で暮らしたことのなかった方々にとって、潮騒や浜風から隔絶された生活は、私のような東京出身の人間には想像がつかないほどストレスになるようです。診療所や健診でも、仮設住宅の生活環境についての不満は非常によく聞かれます。
住宅というものは、人々が生活の大半を過ごす場所であり、健康に対しても非常に大きな影響を与えます。海外においても仮設住宅住民の健康状態の悪化が報告されており*1、また相双地区においても、2012年の健康診断の調査では、仮設住宅の高齢者で足の筋力の低下した方が多かった、との報告もあります*2。
遅れる復興住宅
しかし被災地では、災害公営住宅(復興住宅)の建設は遅々として進みません。2014年2月のニュースでは、福島県では入札価格の高騰により県と建設事業者との折り合いがつかず、建設計画が延期となった場所もあるとのことでした。
このため福島県が予定する4890戸の災害公営住宅のうち、用地が確保されたのは60%にすぎず、2014年1月現在、着工したのは1割未満の453戸、最も早い入居は2014年10月となるとのことでした*3。
そのようななか、相馬市では他の被災地に比べ住宅の復興が非常に早いようです。2013年5月に最初の復興住宅、井戸端長屋が完成し、また2014年度末までにわずか3万人の人口の相馬市だけで9カ所410戸が入居可能となる予定です*4。
もちろん既に仮設住宅で亡くなった方もいらっしゃいますし、健康状態の悪化により療養施設に入所された方も多く、入居中の方にとってはこれでも遅すぎる、という感はあるとは思います。
しかし相馬市は避難所から仮設住宅への移行、仮設住宅から復興住宅への移行の両者ともに、被災地の中でも最も対処が早かったと言えるでしょう。何がこの復興のスピードを決めたのでしょうか。
震災当日からの住宅計画
一番の幸運は市役所の機能が災害直後から保たれていたことでしょう。相馬市役所の会議室には、今でも当時の会議で用いたホワイトボードが保存されています。そのホワイトボードと市の作成した資料を見ながら、市役所秘書課の阿部勝弘さんが話して下さいました。
「当市では津波が襲った、という情報が入った瞬間に、食料や水の確保と同時並行で避難所と仮設住宅の計画を立て始めたんです」
相馬市では津波による死者が457人、全人口の1.2%。人的被害だけでなく、相馬市全居宅棟数1万5616棟のうち、約30%に当たる5584棟が被害を受けました。