これまで6回にわたって夫婦別姓について考えてきた。

 考えてきたというより、我々夫婦の姓を巡る歴史を語ってきたわけで、妻の妊娠を機に事実婚をやめていることでもあり、夫婦別姓を望む人にはあまり参考にならなかったかもしれない。

 言い訳ついでに述べておけば、結婚にまつわる事情はそれこそ千差万別である。年齢、背格好、職業、収入、家族構成。一人ひとりが違うのだから、まったく同じ条件の元にあるカップルなど存在するはずもない。

 ただし、どんな相手とであれ、1人の異性と暮らし続けるためにどれほどの努力と忍耐を要するかは(相手にも努力と忍耐を強いるかは)、経験者なら誰もが身に染みて理解していることだと思う。

 そのうえ子供まで育てようというのだから、冷静に考えれば、結婚とはまったくもって割の合わないシステムである。

 しかし、我々もまた、そうした割の合わないシステムによって育てられてきたのだ。年長者たちが注いでくれた努力を、今度は自分たちが年少者に注ぐことで人は代々繋がっていく。

 夫婦であり、親となっていくことの広がりと深さに比べれば、姓をどうするかなどは二の次、三の次だと、私は思っている。

 それでも夫婦別姓に賛成するのは、結婚は確かに人生における一大事だけれど、人の一生には結婚によっては覆いきれない部分もあると考えているからだ。

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 2009年8月の衆議院選挙で鳩山由紀夫党首(当時)の率いる民主党が圧勝し、社民党との連立政権が発足した時、夫婦別姓法案の成立は時間の問題であるかに見えた。

 選択的夫婦別姓が法律として施行されて、既婚者にも別姓が認められた場合は、私も決断を迫られる。「佐川」に戻るべきか、「鈴木」のままでいくべきか。

 正直に言えば、私は今さらそんな2択を突き付けられるのが面倒だった。夫婦別姓に賛成しているのにおかしいではないかと追及されそうだが、事実なので仕方がない。

 すでに述べたように、我々夫婦は息子の出産に際して事実婚をやめるという判断をした。その結果、日本社会の慣行とは反対に、夫である私が改姓し、妻の姓である「鈴木」を名乗ることになった。

 おかげで母の怒りを買い、私自身にも忸怩たる思いはあったが、合理的な決断をしたという誇りも感じていた。また、その後に作家としてデビューし、「佐川光晴」の名前を復活させたことで、氏名の問題については決着をつけたつもりでいた。