先月、ドイツで荒れ狂っている各種ストライキの話を書いた(「ストで年間63万日以上の労働日が失われる国」)。その時、2月にストをしたばかりのルフトハンザが、再びストをするかもしれないということも書いた。

 ストを計画していたのはパイロット組合だ。そして、結果を言うなら、ルフトハンザは4月の2日から4日まで、丸々3日間、ほとんど飛ばなかった。旅客機だけではなく貨物も同様で、計3800本が欠航。

 ルフトハンザのベース空港であるフランクフルト空港は、3日間ゴーストタウンのようになり、その影響は世界の42万5000人の乗客に及んだという。

パイロットは搾取されている労働者か?

独ルフトハンザ、パイロット3日間ストで3800便欠航

4月2日から3日間、ルフトハンザ航空のパイロットが同社史上最大規模のストライキを実施〔AFPBB News

 このパイロットのストに、私は腹を立てている。ストライキは、もちろん労働者の権利だ。そのルーツは、18世紀のイギリスの産業革命にある。

 産業革命は資本家には巨万の富をもたらし、労働者を非人間的な生活状態に突き落とした。成人男子だけではなく、女性や子供を、劣悪な労働条件で1日12時間から16時間も働かせることになった。

 しかし、それだけ働いても、ようやく餓死せずに生きていけるほどの賃金しかもらえなかった。その極限状態から始まったのが、労働争議だ。

 イギリスの労働者は、最初、機械打ち壊しに走った。機械さえ無ければ、昔のような労働条件に戻れると思ったのだろう。しかしそれは、資本家側と結託した政府によって徹底的に弾圧された。機械打ち壊しに参加した者は射殺されても文句は言えず、多数の死刑判決が下されたのだった。1813年のことだ。

 当時の労働争議の責任者が命懸けだったのは、江戸時代の百姓一揆に似ているかもしれない。しかし、百姓一揆の場合は、責任者は磔になったが、一揆を出した統治者側の責任も問われた。しかも、百姓の要求はすべて拒否されず、そのあと、なんらかの改善が試みられた。

 さて、19世紀の欧米の労働争議はその後も続く。イギリスの機械打ち壊しの失敗に学び、その後の労働運動の指導者たちは、組合を作り、政治的に行動していくことを図る。

 しかし、それでも、階級制度を是正することはもとより、労働条件を改善することは、長いあいだ叶わなかった。それから100年以上の月日が経って、ストライキはようやく労働者の正当な権利になったのであった。