もしあなたが(あるいはご家族でも知り合いでも構わないのですが)突然ガンの宣告を受けたとします。そうしたケースは誰にとっても、決してあり得ないとは言えないものだと思います。実際私も家族として経験したことがあります。

 そのとき、どのような治療の選択するか、その「選び方」を考えてみたいと思うのです。

 今回は、前回に続き、放射性物質の半減期を地球誌から考える論旨を1回お休みして、前段階の問題設定を確認したいと考えました。

「多数決」や「おまじない」で病気が治せるか?

 再び、いま自分が重い病気に罹っていることが判明したとしましょう。そのとき、どんな治療法を選択するか。

 ちょっと前までなら、もっぱら医師が治療法を選択して、患者や家族はもっぱらそれに従うのが最も一般的だったと思います。

 が、様々な経過を経て21世紀の日本では「インフォームド・コンセント」が徹底してきました。

 ごく簡単な病気や怪我であればともかく、一定以上の病気となれば、治療法が複数あるのが普通です。手術、投薬、ガンであれば放射線治療など・・・。

 それらを適宜併用して治療するのが普通と思いますが、ある種の治療法はリスクがあったり、後遺症が残ったり、必ずしも経過が良いばかりとは限りません。

 そんなとき、もし「これからあなたの治療法を、医学も何も知らない一般市民の多数決で決定します」と言われたらどうでしょうか?

 しかもその選択肢が「手術」「化学療法」「放射線治療」などのほか「おまじない」「断食」といった、必ずしも効果が確実でないものまで含まれているとしたら?

 さらにまた、素人の多数決で「おまじない」や「断食」が優勢を占めてしまい、21世紀に標準的なまともな治療が受けられず、みすみす余命を短くするようなことがあったなら・・・。

 個人の選択には多くの自由があると思います。

 が、私だったら、まず、できるだけ客観的に病状を確認するべく、過不足ない検査を受け、自分の状態がどういうものであるか、またそれへの対処法としてどのような方法があるのか、コストはどの程度、リスクはどれくらい、といったことをしっかり理解したうえで(理解できるだけの意識の力が残っていることを望みますが)、家族と相談し、自分自身納得のいく形で決断する、そういうプロセスを踏みたいと思います。

 ただ、実際に世の中ではそうでないケースも見られます。「医者が見離した病状」から、奇跡的に回復して健康を取り戻した、といった話も耳にしないわけではありません。が、その頻度は決して高くはありません。