よく知られた「動物と鳥の戦争を扱った寓話」で、コウモリが動物側にも鳥類側にもイイ顔をするというエピソードがあります。

 この話ではシロクロがハッキリつく方がよい、つまり鳥なら鳥らしく、動物なら動物だとハッキリ言え、というのです。

 しかし、これは寓話だから成立する話で、現実社会に適用するのは間違いではないかと思っています。

 幸か不幸か21世紀のマスメディアというのは童話程度に食べやすく噛み砕いた情報でないと伝わらないという特徴があり「動物戦争」なみの過度の簡略化、オーバーシンプリフィケーションをしばしば目にするわけです。

 選挙も同様の傾向に流れると本当に困ったことになります。

 そんなふうに乱暴に扱ってはいけないものとして、エネルギー問題や原子力を巡る考え方があると思うのです。

全地球史から考える人類と放射能

 3.11以降一貫して言っていることですが、私は今日用いられているような原始的な原子力発電はほどなく廃れていく運命にあると思っています。

 それは経営的にペイしないと分かってくればそのように進むしかないからですが、より積極的には漸次撤廃していく方向が正解という考え方です。

 イノベーションの必然として歴史が多く実例を挙げている、その1つとして栄枯と盛衰は避けられない。当たり前のことです。私は全くもって原発推進論者などではありません。

 が、だからと言って「即時全廃」などと叫ぶ気にも毛頭なりません。と言うのは物理の大学院生時代、放射線管理区域に近接して寝起きしていましたので、稼働を止めた=即よかったね、などということは全くなく、施設や廃棄物の事後処理に大変な時間と労力、そして何よりもコストつまりお金もかかることがはっきりしているから。

 臭いものに蓋をしろ、と主張して、いったん蓋ができたら、本質的な解決など何もなくても「ああよかった」と安心するほど、サイエンスを知らないわけでもない。むしろインスタントな解決があるような方向に世論を誘導する誤り、危険性を常々憂慮しています。

 例えば放射性廃棄物について、半減期2万年とか、十分な安全性が確保されるには10万年程度必要、といったことが、物理科学の知見としてもたらされます。

 そうすると「2万年後の人類にツケ」「10万年後の人類に・・・」なんて書いてある解説を見たのですが、おいおい、ちょっと待ってよと言いたいのです。