人間にとって「永遠」ってどういう時間の長さなのでしょう? 

 数学では「無限」という概念を記号「∞」で表して、様々な論理的な操作を施し、意義深い成果をたくさん出していますが、これを時間で考えて「永久」「永遠」あるいは「久遠」など、一つひとつ考えていくと、実はこれらの多くが想像上の産物であることがだんだん分かってきます。

 つまり、仏典などが説く未来永劫とか久遠の昔といったものは、むしろイメージとしての概念であって、物理的に測れるような時間の長さでは全くない。

 ところが、そういった「時間感」を、私たち21世紀の日本人も、実は気づかないところで生活の中に混ぜ込んでいることがあるように思うのです。

 「永代供養」って何代のこと?

 一例が、いきなり不祝儀の話で恐縮ですが「葬式」とか「お墓」にまつわるケースでしょう。

 例えば「永代供養」ってどういう供養でしょうか?

 文字を見れば「永代」つまり「永久に、代々、ずっと弔い続けますよ」という意味合いに見えるわけですが、実際はどうなのか?

 仮に「永代供養料」として、何十万円とか何百万円とかいうお金をお寺に納めたとします。その「有効期限」はどれくらいか、と考えると、文字面では「永遠」つまり「末世の終わりまでもお弔いいたしますよ、という意味になるはずですが・・・。

 実のところ、例えばある人が、自分のご両親のお墓を建てて「永代供養料」を支払ったとして、それが有効であるのは「建立者の方一代の最後まで」がカバーされる程度で、その息子娘、さらには孫といった代になると、定かでないのが実情ではないでしょうか?

 つまり、お参りする子孫などが絶えてしまえば、仮に永代供養料を支払っていても、せいぜい子供か孫の代、3~4世代程度が限度であって、永年=50~100年程度、永代=せいぜい2~3代に過ぎないことが分かってきます。

 これは実は私自身も直面しているケースなのです。固有名詞は省きますが、私の母方の家は男の子がすでに絶えることが分かっていて、外孫の私が檀家の末席に名を連ねているのですが、「家名を継げる男子の相続が絶えたら、お墓については考え直して頂きたい」とお寺から要請があるようです。

 古い家なので墓が結構大きく、いまの小型分譲墓地であれば6基ほど収まる面積なので、馬鹿にならない金額が「永代」としてまた発生するような話を聞いています。