カンボジアの首都プノンペンは、一言で形容しがたい不思議な街だ。

 タイのバンコクのように仏教的な雰囲気はあるにはあるが、その横にフランス植民地時代の薄汚れた建物が建つ。その保存状態は極めて悪くほとんどが朽ちており、ベトナムのハノイのような統治時代の面影を残すわけでもない。

 空き地には、次々と高層ビルが建築されているが、いつまで経っても完成する気配がない。そのくせして、体裁の良いレストランやブティックホテルはある日突然現れる。

 道路の舗装状態は悪く、アスファルトは剥がれてボコボコ穴が開いている。だから、というわけじゃないだろうが、ぴかぴかのトヨタのレクサスが埋め尽くしているかと思うと、ボロボロのトラックやバンに人と荷物をこれでもかと積み込んで疾走し、その合間をアリのようにモト(オートバイ)が無秩序な隊列を作って殺到する。

「援助」と「経済成長」が混在するカンボジアに来た理由

 アンコールワットのあるシェムリアップに観光客は集中し、首都なのにここプノンペンに立ち寄る外国人はそのうちの数割だ。実際、プノンペンに来たところで、観光スポットは王宮と、ポル・ポト時代の「負の遺産」であるトゥール・スレンとキリング・フィールドぐらいだ。

 あとは、小洒落たブティックホテルのプールで泳いで、スパして、夜はおしゃれなフレンチレストランやワインバーで安い関税の恩恵を受けて恐らく世界一安いワインと美味しい料理を楽しむ――くらいしかやることがない。

 なんだか、2~3日ゆっくりするにはいいけれど、ゆっくりするだけで、充実感がないというか、街全体が急場しのぎの書き割りみたいなのだ。つまり、プノンペンのこのありさまが、今のカンボジアを象徴しているような気がする。

 70年代のポル・ポト政権下の信じられないような愚行から長きにわたる内戦によって、文化、知的財産、人材をことごとく破壊されてしまい、カンボジアには未だにインフラを自分たちの力で整えられるほど、国としての体力が回復していないし、自国の産業として誇れるものは皆無と言っていい。

 安い人件費を求めて外資が流入する昨今は、高い経済成長を反映してか、外国人相手の手軽に提供できるサービス・飲食産業だけがいびつな形で発展している。

カンボジア国営テレビ局の外観(写真提供:筆者、以下同)

 ところで、この国には重要な産業がもう1つある。それは「援助」という産業である。

 カンボジアが供与を受けているので、正確に言うとカンボジアの産業ではないし、「援助」が産業かどうかは、議論の余地があるだろうが、しかし、この国は援助なしには成り立たないのも事実なのである。

 で、一応、この連載を始めるにあたって、私が何をしにこのカンボジアにやって来ているのかというと、JICAのシニアボランティアという「援助」を行う一員として、2012年6月にカンボジアの国営テレビ局に「テレビ番組の制作指導」という立場で2年の任期で配属され、今に至っている。