北米報知 2013年10月3日41号
フィールドに立つユニフォーム姿の選手たちが、それぞれの地域の名を冠し、誇らしげな表情を浮かべる。地元日系社会が親しんできたスポーツは、地元野球リーグ、日米野球交流、プロ野球、大リーグまで結びつく。野球と日系社会の関係をひもとく新展示会「Bases as Bridges: Baseball from Japan to Washington」がワ州日本文化市民会館(JCCCW)で9月28日に始まり、当地野球史に関連する関係者による特別解説が行われた。
「野球は体の大きさに関係なく、誰でもできるスポーツ」――。元日系プロ野球選手のロン・オオモリ(大森)さんは、日系人の多くが愛好したスポーツを言い表す。
モーゼスレイク出身でシアトル大学から日本の広島カープに入団。1960年代に活躍を見せた。
日系社会における野球は、コミュニティーの形成や他地域との交流において重要な役割を果たした。
日系社会の野球史を調査するシアトル大学のマリー・ウォン准教授によると、1905年には野球チームが作られ、1910年には日系社会でリーグが組織されたという。
定住者が増えると、野球はより生活と密着し、独立記念日には毎年の恒例行事となるノースウエスト地域の日系野球チームによる野球大会が催された。
移民世代が落ち着き、日系社会が教育を重視することによって、高等教育機関に二世、三世が入り、第二次世界大戦後はオオモリさんをはじめ一般スポーツ界で活躍する姿もみるようになる。