朝晩は涼しく、空の高い秋らしい秋で、とても嬉しい。去年はいつまでも残暑が続き、秋を飛ばして、いきなり冬になった感じだった。1年のうちで、秋の夕べほど穏やかな気持ちになれる時はないので、みなさんもそれぞれ「○○の秋」を楽しんでいられることと思う。最近太り気味の私は食べ過ぎに注意しなくてはいけない。

 小説家としては、食欲の秋よりも、読書の秋にあやかりたいところである。秋は講演会のシーズンでもあって、秋と言うには少し早いが、8月24日(土)に仙台市、8月31日(土)と9月1日(日)の両日は北海道の北見市で講演をした。このあとも、10月19日(土)に小樽市に行き、翌週の26日(土)には埼玉県富士見市の図書館で話をする。

 この数年は、年に5~6回の講演をしている。主催は、市民団体や教職員組合、それに学校や図書館である。北海道が多いのは、私が北海道大学を卒業しているからで、仙台は小説講座の講師として招かれた。高校までを茅ヶ崎市で育ち、結婚後は埼玉県志木市で暮らしているため、神奈川県や埼玉県での講演も多い。

 講演会は先方からの依頼を受けてするわけで、私への要望はおおよそ3種類に分けられる。(1)主夫をしている経験から、家庭での男女のあり方について話す。(2)小説家になる以前、屠畜場で牛の解体作業に従事していた経験から、働くことの意味や職業差別の問題について話す。(3)『おれのおばさん』シリーズを中心に自作を語り、私自身の成長過程や子育てについて話す。

 きれいに分けられるものではないので、それぞれのエピソードをミックスさせながら、1時間半から2時間を1人で話しきる。講演会の規模は、50人ほどのこぢんまりした会もあれば、100人、300人、500人といった大人数を相手に話すこともある。

 講演料は、先方の言い値でしている。交通費、宿泊代込みで○万円というように提示される。一般的に、来場予定人数が多いほど講演料も上がるようになっているらしく、たまにビックリするほどの金額を提示されることがある。不況の折から、大変ありがたいが、それだけ責任も重くなる。どんな規模の講演でも、前日は準備、そして当日、さらには余韻を静めるのに1日の合わせて3日間は必要で、ジャケットやシャツのクリーニング代も加えると、かえって持ち出しになる場合も少なくない。

 それなら講演料の最低ラインをあらかじめ決めておいて、それを下回る場合は断ればよさそうなものだが、今のところそうした世知辛いまねをするつもりはない。なぜなら、講演とは他に替えがたい経験であり、新たな人たちや見知らぬ土地との出合いがあるからだ。