2020年夏季五輪の東京開催が決まった。
安倍晋三首相も、東京での五輪開催決定を起爆剤に15年続いたデフレを払拭し、経済成長につなげる考えを示している。実際、インフラ整備や観光などの幅広い分野で、経済面を中心に好影響を与えることになろう。
その経済効果は150兆円に及ぶという予測などもあり、早速その期待が大きく膨らんでいる。
7年後、「ソーシャリンピック」はどう変容しているか
いまから7年後の2020年、東京五輪とソーシャル化する社会はどのような関係を示すことになるのだろうか。
2012年のロンドンは、オリンピックが本格的にソーシャル化するエポックメーキングなイベントとなり、“Social”と“Olympics”を掛け合わせた「ソーシャリンピック」という造語も生まれた。
フェイスブックやツイッターなどのソーシャルメディアが大規模に活用される初めてのオリンピックとなり、世界中の観衆やスポンサー企業などがソーシャルメディアをオリンピックへの重要な参加手段と見なし始めるきっかけとなった(参照:「ロンドン五輪が花を咲かせたスポーツのソーシャル化」)。
2020年の東京五輪では、その「ソーシャリンピック」の進化形を見ることができるのだろうか。
2012年のロンドンから、2016年のリオデジャネイロ、2020年の東京へ向けて起こる変化をここで考えてみたい。そのディテールは別の機会で言及することとし、今回はちょっと大局的な視点に立ってみる。
まず、そもそも“Social”の部分が7年後にどうなっているのかということだが、「今から5年後、ソーシャルメディアは存在するか」にて言及した通り、“ソーシャルメディアが持つ原子の部分は根強く残り続けることになるだろう。サービスという殻の新陳代謝は繰り返されても、その原子をユーザーが自ら消滅させることはなさそうだ”と考えている。
その重要な原子である「個人のメディア化」と「人と人とのネットワーキング」が途絶えることは考え難いからだ。