2012年12月25日、私は東京大学運動会応援部の第65第主将を後輩に引き継ぎ、4年間の「応援部生活」に幕を下ろしました。
4年前、東京大学理科三類に入学直後に、わけも分からず入部した応援部「リーダー」パートで私を待ち受けていたのは、かつて体験したことのなかった辛い練習、厳しい上下関係、そしてそれらを忘れさせるほどの充実でした。
熊本大学附属中学校を卒業し、実家を離れ兵庫県の灘高校に進学し、かねて憧れていた医者を志した私は、受験勉強をおろそかにしてバドミントン部と英語部、そして体育祭の応援団に明け暮れていました。
入部前、神宮球場の応援席に立つ
そんな「応援」をほんのかじった程度の私が、大学1年の4月に、東大応援部の方々に、まず連れてこられたのは明治神宮球場でした。
東京六大学野球、春のリーグ戦。相手は前年度秋季リーグ戦優勝の早稲田大学。2年生の先輩から、艶やかな花柄の裏地が入ったよれよれの学ランを渡され、あれよあれよと言われるがままに着替えてスタンドに立てば、そこは東京大学の応援席でした。
初めて東大の応援に触れたその瞬間は、今なお忘れることができません。
4点ビハインドで迎えた3回裏の攻撃。晴天の下、総勢80人の「吹奏楽団」、「チアリーダーズ」、そして学ラン姿で声を張り上げ応援を指揮する「リーダー」がみな汗を額に光らせながら声を張り上げて懸命に応援をしている姿。
そして500人もの客が部員と一体となって盛り上がり、劣勢であるにもかかわらず、応援席全体がまさに怪物のようなうねりをもって応援歌を轟かせていました。
「岡崎君、リーダー新人は何をやってもいいんだ。客を盛り上げてこの試合を勝たせてくれ」。そう言い残した先輩は、観客の群れの中に飛び込んで行きました。
知らぬ間に新入部員扱いされていた事実と、その場の雰囲気に圧倒され戸惑いました。しかし猿まねながらも声を出すうちに次第にその熱狂に呑まれ、終いには我を忘れて声を枯らしくたくたになりながらも客と応援していました。
結果は0-11と大敗してしまいましたが、かくして、私の想像だにしていなかった東大応援部リーダーとしての4年間が始まったのです。