1.集団的自衛権に関する誤解
日本では今、集団的自衛権の解釈が、安全保障上の大問題となっている。
しかし、世界では、この問題を全く騒いでいない。彼らにとって、各国が集団的自衛権を保有し行使できることは当然のことだが、これは権利だから、その権利行使を日本が自粛しようとしまいと、関係のないことなのである。
だから、米国でも一部の者を除きほとんどの人は「日本も集団的自衛権を行使せよ」などとは言っていないし、言うはずもない。現在の日米安保条約は既にそれを織り込みずみなのである。
「第1次アーミテージ報告では日本の集団的自衛権行使を求めていたではないか」と言う人はあの原文をよく読んでいない人である。
あの部分は「日本が集団的自衛権行使を禁止していることは日米の協力を制限している。これを取り除くことにより一層緊密かつ効果的な安全保障協力が可能となる。これは日本国民だけが決断できることである」というもので、極めて遠慮がちな表現である。
「日本国民だけが決断できる」ということは「我々外国人は余計なことを言う立場にはないが」という言い訳である。
これに反し別項に「米国は日本の常任理事国入りの要求を引き続き支持すべきである。しかしながら、そこには集団安全保障の明白な義務(オブリゲーション)があることを日本は理解しなければならない」と集団安全保障上の義務についてはかなり率直に厳しく要求している。
2000年のこの時点で、この後段の集団安全保障を集団的自衛権と誤訳した人がマスコミには多く「日本が集団的自衛権行使を認めないならば日本の安保理常任理事国入りにも米国は同意しない」という報道がなされた。
これらの人々には、権利と義務の違いが全く分かっていなかったようだ。今から13年も前から日本は「集団的自衛権病」にかかっていたのではないだろうか。
日本人の集団的自衛権に関する誤解を解くための説明は、それだけで数十頁もの紙幅を要するものだが、ここでは次の4項目のみを強調しておきたい。
(1)集団的自衛権は集団安全保障を規定した国連憲章の第51条に、「集団安全保障が機能しない場合の特例」として認められ、「それを行使しても赦される」という形で挿入されている。
そして「国連安保理事会が必要な措置を取るまでの間に限り赦される」「その行使にあたって取った措置は直ちに国連安保理事会に報告しなければならない」との条件付きのものである。
(2)集団的自衛権の行使は、同盟を結んだ米国に対してのみ行使できる、というものではない。同盟を結んでいない例えばフィリピンから日本に支援要請があれば日本はフィリピンに対し軍事支援ができる、というものである。
(3)米国という国は元々(少なくとも2001年9月11日までは)自衛を必要とする国ではなく、ましてや、その米国の自衛を他国に手伝ってもらおうなどとは考えてもいなかった、そして今も考えていない国である。
(4)米国が他国に期待していることは、(形はできるだけ国連を利用しつつも)米国中心の集団安全保障を手伝ってほしいということである。