一昨年、ドイツで見たドキュメンタリーの映画、「Taste The Waste(ゴミを召し上がれ)」のことを書いた。内容に関してはこちらに詳しいので、お目を通していただけたら嬉しい。
普段なら、映画は私にとっては娯楽である。だから、見るなら、ロマンチックで、ドラマチックで、スリリングで、壮大なものがいいし、映像は美しく華やかであってほしい。
ちまちました生活の一部を切り取った心理ものや、セリフがあまり出てこない陰鬱系、そして、社会的に警鐘を鳴らすような告発ものは好まない。吐き気を催すような映像は見たくないし、鑑賞後、社会の不平等さに愕然とし、しかし、それを映画で見るだけで何もできない自分に、自己嫌悪を感じるような作品も苦手だ。
「ゴミを召し上がれ」・・・食料廃棄のショッキングな現実
ところが、そんな私が、苦手なはずの映画「Taste The Waste」を見にいったのは、社会的正義感に燃えている娘に誘われたからだ。そして、見た後、私は激しいショックを受けた。
メキシコの麻薬ビジネスや、アフリカの象牙の密輸や、人身売買や、幼児虐待は、それがどんなに深刻な問題であっても、自分が直接関与している感じがしないが、この映画の問題と私は、無関係ではない。それどころか、大いに関係があった。
この映画の内容をごくごく簡単に言えば、世界の先進国と呼ばれている国で行われている食料廃棄についての現状の啓発である。私たち先進国の人間の身勝手で、世界の食品産業は巨大化し、食料事情はとんでもないことになっている。
消費者が、見た目が完璧で、新鮮な食べ物を欲するがために、食料はすでに畑で廃棄が始まり、販売経路に乗る前にも廃棄され、スーパーまでたどり着いても、売れ残る前に廃棄され、ときに買ってきた私たちも、食卓にのせる前になって気が変わり、食べずに捨ててしまったりしている。
そして、それらを足し算すると、膨大な量になる。これだけで、世界の飢えている人の3倍の人数のお腹をいっぱいにできるそうだ。今や、食産業の目的は、いかにして国民のお腹をいっぱいにするかではなく、いかにしてお腹いっぱいの国民に食料品を買わせるかになってしまった。