華人とは言っても3世、4世ともなれば大半はタイ社会に同化し、母国語としては中国語ではなく、タイ語を喋るようになるそうだ。どうやらタイの華人社会は、シンガポールとは質・量ともに大きく異なるようである。
タクシンもリー・クアンユーも客家人
それでもタイとシンガポールには興味深い共通点がある。冒頭触れたように、タクシン・チナワット元首相(中国名は丘達新)はタイ北部の有力客家系一族の出身だが、なぜか、シンガポールのリー・クアンユー上級顧問相一族も同じく客家人なのだ。
それにしても、華人が全人口の4分の3を占めるシンガポールならともかく、全人口の1割強に過ぎないタイ華人社会の中でもさらに少数派(16%)の客家系タクシンが、なぜ首相にまで上り詰めることができたのだろうか。
タクシンと言えば典型的なポピュリスト政治家と揶揄される。首相時代は一村一品運動、農民債務の繰り延べ、村落開発基金導入など徹底して貧困対策と農村振興に取り組み、地元チェンマイを含む農業地域で絶大な人気を博した。
同時に、タクシンの金権主義的独裁体質も厳しく批判された。首相時代、議会で圧倒的多数を占める与党と豊富な資金力を背景に中央集権化を進める一方、独裁主義的傾向を強めていったため、大きな政治的反発を招いたのだろう。
タイの伝統的エリートに挑んだタクシン
タイの華人社会、特に客家系財閥は、他の東南アジア諸国と同様、タイ経済界で大きな影響力を持つと言われる。しかし、タクシンの個人的資質や財力だけで過去4年間のタイ内政の混乱を説明することはできない。
今回の政治的混乱は、タクシンとタイ伝統エリート層との「全面戦争」の結果である。地方貧困層の圧倒的支持を得たタクシンの急進的改革路線に、王族を頂点とするタイ守旧派が強い危機感を抱き強烈な反撃に出たというのが実態ではなかろうか。