シュトゥットガルトの歴史博物館(Haus der Geschichte)で「南西ドイツの赤軍テロ」という特別展が始まった。

 ドイツでは、1960年代終わりから20年以上にわたって、ドイツ赤軍のテロが続いた。テロの嵐は市民を巻き込み、全国で荒れ狂ったが、その中心地となったのが南西ドイツ、つまり、私の住むバーデン=ヴュルテンベルク州であった。

20年以上も国に戦争を挑み続けたドイツ赤軍

 赤軍の敵は多岐にわたっている。まず「アメリカ帝国主義」とそれに与する資本主義者たち、ナチの残党とドイツの国家権力の具現者(政治家や警察や裁判所)。それらがすべて「ファシスト」として、ひとまとめにされた。

 特別展の展示室に入ると、そこは真っ赤だった。天井も壁も床も赤。血と暴力、そして、赤軍と共産党を表しているのだろう(特別展の紹介動画はこちら)。

 壁には1カ所、爆発を連想させる大きな穴が開いており、天上からは破片のような鋭角の目立つ形のプレートがたくさん下がっていた。そして、その一つひとつに個別の事件のあらましが書いてある。テロの犠牲者の数は34人だ。

 展示室の入り口に立って奥を見ると、だんだん狭くなっていて、出口のない圧迫感を感じる。

 真ん中にある灰色の展示ケースは、テロリストたちが収監されていた厳戒の刑務所を表している。この厳戒態勢の刑務所で、4人の犯人たちが自殺をした。そのうちの2人はピストル自殺だ。なぜ、彼らがピストルを入手できたかは、今でも分からない。

ケルンにあるシュライヤー(ダイムラー・ベンツ取締役)誘拐殺人事件の犠牲者記念碑(Wikipediaより)

 そして、展示室が一番狭くなったどん詰まりでは、テロの狂気が最高潮に達した事件、ハンス・マーティン・シュライヤーの誘拐殺人事件が扱われている。

 しかし、そこまで行くとようやく、右手に次の部屋への入り口が見える。

 赤軍が事実上解散し、政府と犯人と市民の対話、そして、秩序を取り戻す試みが始まったのだ。部屋は白とグレーのトーンで、悲しみの中に少し希望が垣間見えるような、とても地味な雰囲気だ。

 ここに入ると、今までの圧迫感は消え、心が穏やかになる。しかし、もちろん解決でも浄化でもない。ドイツ赤軍の事件は、今日もまだ、真相が分かっていないことがたくさんある。