世界中に民主主義への熱狂を発信した「アラブの春」でホスニー・ムバラク大統領をその地位から引きずりおろしてから2年半、エジプトの地は再び混沌たる世界と化している。初の民選大統領となったムハンマド・ムルシ大統領が就任からわずか1年で、反政府デモから発展した混乱が軍の介入を招き、大統領職を剥奪されたのである。

ジャスミン革命のチュニジアからは非難の声

エジプトの象徴ピラミッド。今観光客が少なく閑古鳥が鳴いているという

 現行憲法は停止され、大統領の支持母体ムスリム同胞団の幹部も次々拘束されている。7月8日には、支持派デモ隊と治安部隊とが衝突、50人を超す死者を数える流血の惨事ともなった。

 エジプト経済は停滞し、物価は上昇、電気はたびたび消え、ガソリンを買うためにいつまでも並ぶ。その一方で、ムルシ政権は、重要ポストに同胞団のメンバーを次々とあて、憲法をはじめ、イスラム化が進んでいた。

 国際社会の反応はまちまちだ。同じイスラム世界でも、サウジアラビアなど湾岸諸国はおおむね歓迎の意を示している。しかし、エジプトに先立ち「ジャスミン革命」を成功させた同じ北アフリカの国チュニジア政府からは非難の声が上がっている。

 そのチュニジアでも、エジプト同様、事実上独立後初の民主選挙で、ムスリム同胞団の影響下結成されていたイスラム主義運動組織「NAHDA(ナフダ)」(政党名はアンナハダ)が最多議席を獲得、かつて中東で最も西欧化の進んでいたこの国にもイスラム化の風が吹いている。

チュニジアの首都チュニス

 今年2月、与党批判の最先鋒だった野党党首が自宅前で狙撃され死亡、イスラム勢力と世俗派との対立が一気に激化し、反政府デモが相次ぐなか、意図した内閣改造を果たせなかったジェバリ首相が辞任に追い込まれる、といった事態も経験している。

 経済が停滞し、現状に不満を持つ若者が多いことも、エジプトと似ている。そんななかには、宗教的理由のみならず、現状への不満から宗教団体へとひき寄せられていく者も少なくない。

 そこに待ち構える過激派という罠。その懸念が現実のものとなってしまったのが1月に隣国アルジェリアで発生し、日本人犠牲者も多数出してしまった人質拘束事件。その実行犯の3分の1はチュニジア人だった。

 1991年、アルジェリアでは、初めて複数政党が参加した総選挙が行われた。そして、イスラム救国戦線(FIS)が大勝。どこも似たような経過をたどっている。欧州の植民地だった北アフリカだが、もともとイスラム教徒の多く住む地域。独裁の箍が外れれば、程度の差こそあれ、民意はイスラムへとシフトする。

 しかし、アルジェリアでは、シャリヤに基づく統治を始めようとしたことが、国を混乱へと導いた。