本年も5月24日から28日まで、恒例の工作機械展示会「国際金属加工展」がクラスノプレスナヤのモスクワ国際展示場の全館を使用して行われた。この展示会はソ連時代の1984年に隔年開催でスタート、現在は毎年開催されている。
欧州、日本から学び工作機械の精度を上げていた旧ソ連
もちろんロシアでは最大、ヨーロッパでもかなり大規模な部類に入る工作機械展示会で、見るべきものは多い。
筆者は日本の工作機械メーカーのロシア市場開拓のお手伝いもしているため、この展示会には出展者となったり、参観者となったりしながら毎回足を運んでいる。
さて、私にとって、この展示会の最大の興味は、ロシア製工作機械の視察にある。工作機械は、「マザーマシン」とも称される様に、産業用各種機械の部品を製造する機械であり、完成した産業機械の精度を規定するものでもある。
要するに、各種部品を組み立てた産業機械の加工精度は、部品一つひとつの精度以上には決してなり得ない。そのために旧ソ連では、大量の高精度工作機械を欧州、そして日本から買いつけ、自国で製造する産業機械の精度を上げようと努力していた。
一方、戦略的観点から、米国を中心とする西側諸国は仮想敵国であるソ連の武器性能が向上するのを阻むため、ソ連圏への高精度工作機械の輸出に制限をかけていた。
これが、通称ココムと言われる対共産圏輸出統制委員会協定である。我が国でも1987年、東芝機械製の工作機械がココムを潜り抜けてソ連に輸出されたとして、「ココム違反事件」と称する事件が起こったことがある。
主要な都市には必ずあった工作機械工場
この事件は日米間の政治問題にまで発展し、ソ連への工作機械輸出は完全にストップ、業界には計り知れない影響を与えた。
事件は、その後の調査で、当時世界に大変な勢いで進出する日本企業に対する米国の警告だったという説も出た。
そのためか、今年春に起こった米国における「トヨタ叩き」の際は、この事件を比較対照に引っ張り出した新聞報道もあった。
1980年代までのソ連では、世界大戦時の産業政策がそのまま維持されていた。工作機械に関してもソ連の主な大都市には、規模の大小を問わねばほぼすべてと言ってよいほど、工作機械工場が存在した。
これは、戦争でロジスティックが破壊された際に、1つの地域が他地域からの支援を受けずとも生産活動を独立して継続できるよう、必要な産業基盤は並列的に複数配置する、というソ連の対戦ドクトリンを実践した結果である。