米国は依然として世界の超大国であり、自由平等を原則とし、民主政治、人権擁護など、人間の本性に根ざすとみられる価値観をもった国家である。同時に、国益追求を至上の目標とする。
日米は同盟国であるが、米国の基本認識は「外国の純粋な行為を期待するほどの愚はない」(ワシントン米国初代大統領)というものであり、一蓮托生とも言える強固な結びつきと思い込む日本とは異なる。
戦後の日本は軍隊を持てない、持ちたくないなどいろいろな観点から、米国に頼り過ぎてきた感がある。そして、米国の言動に一喜一憂してきた。
最近の例では、米国要人が尖閣諸島には日米安保条約が適用されると言えば百万の味方を得たかのように安堵感を強め、日本の歴史認識に疑義が表明され従軍慰安婦像が米国で建てられると、これが同盟国のやることかと言わんばかりに愕然とする。
問題は那辺にあるか。日本人自身が「日本国民」であることを忘れ、マスコミや政治が「国益」を考えてこなかったという1点に尽きる。
マスコミ人や政治家たちは、橋下徹氏の諸々の発信(ただし、慰安婦に関連して発言のあった米軍への風俗活用の奨めについては、本人が撤回し謝罪したので除外する=以下同)が一時的な公人を飛び越えて、基底に伏流して目に見えないが厳然として存在する「日本」および「日本人」という位置からの「本音」の発信であることを理解していない。いや理解はしているだろうが、敢えて曲解してニュースにしたのかもしれない。
それもこれも、自虐史観に凝り固まってきた人士たちで、「国益」の考慮ができなくなっていたからであろう。こうした視点を是正するためにも、国家を強くして、物怖じせずにどんな相手に対しても本音でぶつかり合うことが必要であろう。
言論界からも「橋下発言の核心は誤っていない」(「産経新聞」5月23日付、現代史家秦郁彦氏「正論」)など、発言内容に対する論評もようやく出てきたが、都議選や参院選を前にして「時期が悪い」「選挙を戦えない」など目先の選挙対策上から批判することばかりが目立っていた。
何処までも弱肉強食の世界
明治政府ができて間もなく、岩倉具視を団長とする遣米欧使節団が派遣された。使節団の目的は幕末に締結された不平等条約の改正などを第一とし、併せて欧米先進諸国の制度・文物を調査・研究することであった。
国家の体制も政府の骨格も十分固まっていなかったので、長期留守はどんな災難に直面するかも分からない。そこで当初は10カ月半、14か国を視察する予定で出発した(これとて今日から見れば超長期間であるが、実際は12カ国、1年10カ月となる)。
太平洋を横断し、サンフランシスコで在住日本人を含む要人と懇親を深め、ロッキー山脈越えで米大陸を横断した一行は2カ月半後にワシントンに到着した。いざ交渉に臨む段階になって、全権委任状無しでは相手が条約改定に乗ってこないことを知る。明治初期の日本は万国公法(今日の国際法)に疎かったのである。
大久保利通と伊藤博文が委任状を得るために日本に引き返し、4カ月半後(当初の出発から7カ月後)にワシントンに着いた時、代表団は既に日本の実力からいまだ改定の時期でないことを知って交渉を打ち切り、2週間後には英国に向かう。伊藤などが国際社会の現実を深刻に知る初の機会となったのである。