前回に引き続き、3.11当時、経済産業大臣だった海江田万里・衆議院議員(現在は民主党党首)へのインタビューをお届けする。

 インタビューを申し込んだ直接のきっかけは、海江田氏が3.11を振り返った回顧録『「海江田ノート」原発との闘争176日の記録』(講談社)が2012年11月に出版されたことである。福島第一原発事故の発生直後に現場取材に行ってから、私はずっと「なぜ住民避難が遅れ、失敗したのか=なぜ住民が被曝するという重大な失態に至ったのか」が疑問だった。当時の政府内部の動きについて取材してみると、地震発生当日の3月11日から12日にかけて、何をしていたのか説明がされていない「空白の時間」が何箇所かあることに気がついた。『海江田ノート』を読んでみると、そのいくつかに海江田氏も同じように疑問を持ち、触れているのが私の目を引いた。

 海江田氏へのインタビューは2013年2月28日、東京・永田町の衆議院第一議員会館にある海江田氏の事務所で行われた。

なぜ首相は訓練通りに緊急事態宣言を出さなかったのか

──私が1つどうしても分からなかったことをお尋ねします。この3.11の前年の秋、2010年10月に原子力防災訓練が行われています。

海江田 「僕はその時はまだ大臣ではなかったけれどね」

──海江田さんはまだその時は経産大臣には着任しておられないですね(海江田大臣の就任は2011年1月)。

海江田 「菅(直人、首相)さんは浜岡(原発)で(原子力防災訓練を)やっているんだよね」

──そうなんです。その時のビデオ映像をYouTubeで見ました。経産大臣からの上申書が菅さんに手渡されると、その場で菅さんは緊急事態宣言を出すんですよ。その間ゼロコンマ何秒です(笑)。それで、なぜ本番では訓練通りにされなかったのだろうと不思議なんです。原災法(原子力災害対策特別措置法)にも「直ちに緊急事態宣言をしなければいけない」とわざわざ書かれているのです。だからその時間の空き方がどうも分からない。ゲスの勘繰りかもしれませんが、何か特別な事情があって時間が空いたのかもしれないと思うのですが、どうでしょうか?

インタビューに答える海江田万里氏(筆者撮影)

海江田 「全く分からない」

──それは、例えば先ほどの法令の質問とか、なぜ総理がああいう判断をしたのか分からない、ということですか。

海江田 「やはり現実に起こったから大変なことだという思いで、自分でしっかり得心がいかなければ、出すわけにはいかないということでしょ。自分の中で納得できなかったんでしょう」

──海江田さんは、菅さんと同じ政党にいる同僚議員として、その時の菅さんの態度を予測できましたか?

海江田 「いやそれは全然分からない。本当に初めてのことだから」

──それは、菅さんが国家の危機に接するのを見るのが初めてということですか。こうした緊急事態が初めてだということですか?