宮城県石巻市の渡波(わたのは)地区にある安海繁男さん(54)の自宅を久しぶりに訪ねた。小型底曳き網漁を営む漁業者だ。

 このあたりだと見当をつけたところに、安海家は確かにあったが、周囲の風景は一変していた。住宅街にあったはずだが、これまでは見えなかった海岸堤防が正面に見えて、そこから安海家まで空き地が続いていた。

 2011年3月11日、東日本大震災による大津波は、5メートルあった渡波海岸の堤防を乗り越えて、このあたりの住宅を一気に押し流した。安海家も1階の天井まで水が来て、1階にいた安海さんの両親が犠牲になった。2階に住んでいた妻と子どもたちは、かろうじて助かった。安海さんは仕事の会合で仙台市の高台にいて、また長女は石巻市内の自動車学校にいて、それぞれ難を逃れた。

 「地震で停電になったせいか、津波を知らせる防災放送は流れず、突然、津波が来た感じでした。子どもだけは何とか助けようと、2階のバルコニーから屋根に上がりました。しかし、雪が降っていて、とてもいられなくなったので、夜になって、2階まで降りました。子どももそう思っていたでしょうが、水がどんどん上がってきたときは、もうだめだと思いました」

 妻の博美さんの回想だ。安海さんには、漁業の話を聞きにきたのだが、家族のすさまじい体験をまず聞くことになった。

 2階に避難していたときに、近くで助けを求めていた親子連れがいたので、呼び寄せたところ、がれき伝いに2階の窓から入ることができたという。この人たちも九死に一生を得たことになる。

 「助かるか死ぬか、ちょっとした運と言うしかない」と繁男さん。石巻市内のおよそ半分は津波の被害に遭っているので、生き残った市民のほとんども「九死に一生組」。安海家も、ちょっとしたことで生死が分かれた。

「もうかる漁業」を目指して建造された第28黄金丸

 3年前、新聞記者として石巻に駐在していた私が安海さんを訪ねたのは、ヒイカ(ジンドウイカ)漁について取材するためだった。ヤリイカの仲間だが、それよりもずっと小さいので、石巻の料理店などでは、ホタルイカの名前で出てくることもあった。小型底曳き網で漁獲すると聞いたので、家まで押しかけたのだ。